「理想」と「空想」の違い
先ずは言葉の意味、定義から。
「理想」は「人が心に思い浮かべ続ける、最も良い状態のこと」。
「空想」は「現実にはあり得ない様な事柄を頭に思い浮かべること」。
これが世間一般の使い分け方のようです。
でも、私はこの二つの言葉の境界線は必ずしもはっきりしていない、と考えます。
なぜなら、たとえ周囲から夢物語、妄想だと否定されても、実現に成功すれば文字通り「理想」を実現したのですから、結果論的な面がある、と言えるのではないでしょうか。
「夢物語」だと否定されても、実現させることができれば「理想」の実現
同時代を生きるその方面の専門家や、周囲の知識・教養のある人たち、高学歴の人たちの大多数から、「途方もない夢」だと酷評されたとしても、絶対に「空想」に過ぎないとは限りません。
たとえば、2014年度下半期のNHKで放映された連続テレビ小説『マッサン』。
フィクションではありますが、事実・実話をベースにしたもので、そのあらすじは、主人公が、「日本人なんかに(しかも日本で)つくれるわけがない、不可能だ!」と言われていた国産初のウイスキー製造に挑戦し続け、晩年にはついに本場のスコットランドからも高品質のウイスキーとして認められるほどの国産ウイスキーをつくることに成功したというお話です。
「理想主義者」と「理想が空想・夢物語で終わってしまう人」との違いとは?
この両者、何がどう違っているのでしょうか? 前者にあって後者には足りなかったものは何なのでしょうか?
私なりの解釈を紹介してみます。
一つ目。理想を抱き続ける強い精神力。
通常、簡単に実現できるようなことを大そうに「理想」と呼んだりはしませんよね。つまり、実現がより一層困難なほど「理想」の名により一層値するのではないでしょうか。だからこそ、理想を抱き続ける強い精神力が必須でしょう。
二つ目。リアリスト的な力も。
“現在の状態”から“理想の状態”に向けて前進していくには、気持ちを強く持ち続けて、理想への千里の道を一里ずつ着実に前進していくしかありませんよね。ということは、現実に即して物事を考えて処理するという点でリアリストとしての能力・実力が必要に違いないでしょう。
でも、理想主義者自身には必ずしもリアリスト的な力が十分備わっていない場合には………。大丈夫です。理想・途方もない夢に共鳴してくれて、かつ、リアリスト的な力を十分備えている人物を、事業のパートナーあるいはスタッフ、部下として重用すればよいのです。
三つ目。ある意味では時代レベルでの運の良さが必要な気がします。
理想・途方もない夢を抱くその人物の存命中には、その理想の実現に必要な手段が技術的にまだ実用化できていないため、それが障害となって実現に至らずに生涯を終えたというケースがあるに違いない、と思われるからです。