正義が勝つには時間がかかる!

狡猾で強大な悪に打ち勝つのは大仕事でしょうが………

「正義が勝つには時間がかかる」--この言葉は、1984年発行の、当時はタレントだった元・千葉県知事の 森田 健作 氏の著作『正義が勝つには時間がかかる!』の題名です。

同氏は次のようにおっしゃっています。
最近の『悪』は『正義』のような顔をしているから、
場合によって、その場では『正義』が負けることがある。
そうなると、非常に悔しい思いが長く続くことになるが、
最後には『正義』が勝つ。
忍耐の時間の中で人は成長し、
いさかいの『芽』そのものが小さく見えてくる。

さて、狡猾に正義を擬装している悪に正義が打ち勝つのは容易でなくても、「悪 vs. 正義」では、どんなに時間がかかっても最後に正義が勝ってほしいです。

でも、個人の人生にとっては、勝つまでにあまりに長い年月を要するようでは、人生の晩年になってやっと最後に勝っても、私なら複雑な心境になりそうです。

また、少なくとも短いスパンでみれば、“正義が勝つか? 悪が勝つか? その答えは、“力の強いほうが勝つ” が人間社会の実情ではないでしょうか?

「力なき正義は無力であり、正義なき力は圧制である。なぜならば、常に悪人は絶えないから正義なき力は弾劾される。それゆえ正義と力を結合せねばならない。」(ブレーズ・パスカル(哲学者・物理学者・数学者・思想家))

正義を主張する者どうしの対決の場合

さて、正義のための戦いとは、戦う相手が、殺人、強盗、性的暴行、放火、詐欺その他を犯す犯罪者のように悪であることが明らかな相手ばかりとは限りません。人間の歴史を振り返れば、“我々こそが正義である” と主張する者どうしの闘争が繰り返されています。

「正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるのであろう。正義も理屈をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。」(芥川龍之介(小説家))

正義は人の数ほどありますので、正義は争いを生みがちですよね。正義を振りかざす人は、“独りよがりな裁く思い”という自分のモノサシで他人を裁こうとし、その結果相手を支配しようとしがちですよね。

このような、いわば正義の負の側面を抑えるには、正義の言動をする場合には愛を原動力とすることがキー・ポイントだと思います。

皆さんはどうお考えですか?

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