諺「転んでもただでは起きない」の意味
「転んでも、なにかそこにあるものを拾って起きるということから、どんな失敗をしても、そこから必ずなにかしらの利益をつかみとろうとするたとえ。また、欲が深くぬけめない人をあざけることば。」(『標準ことわざ慣用句辞典』(旺文社)より)
どちらかというと悪い意味で使われることが多そうですね。
失敗は成長体験
失敗---好き好んで失敗する人はいませんが、人生に失敗はつきもの、誰でも大なり小なり失敗を経験するものです。
ポイントは、失敗したときにどう対応・処理するのかはもちろんですが、失敗を単に失敗で終わらせるのか、それとも失敗を成長体験(注1)とするのかが肝心ではないでしょうか?
失敗しても、同じ失敗を二度と繰り返さないためには、原因の分析等が不可欠で、そこから最大限、何かを学び取って、教訓を得て、次に活かしていきたいものです。
(注1)「人生には成功と成長しかない。………一見、失敗とみえるものは、実は失敗ではなく、成長体験であり、………」(『奇跡の言葉333』(著者:はせくらみゆき 発行所:(株)BABジャパン)55頁より)
失敗でさえ成長体験なのだから………
“経営指導のプロ” と呼ばれた故・船井幸雄氏曰く、
「世の中で起こることはすべて必然、必要で、すべては生成発展中である。」
「あらゆる出来事が、起こるべくして必然的に起こり、私たちに何事かを学ばせる必要があって、起こっているのです。」
(『「幸せ」の基本』(船井幸雄 ベスト新書)52~53頁より)
“あらゆる出来事”、ということは、コロナ禍でさえ “起こるべくして必然的に起こり、私たちに何事かを学ばせる必要があって、起こっている” ということになりますが、気持ちとしては、なかなかそうは思いがたいですよね。
でも、諺には「災い転じて福となす」もあります。コロナ禍でさえ、起こってしまった以上は、そこから何かを学び取って、成長体験として、何かしら将来に活かしたいものです。例えば、コロナ禍における黙食。今まで食事をするときによく噛まずに食べていた人が、黙食をきっかけにしっかり咀嚼して食べるようになれば、立派な成長体験ですよね。
他にも、例えば、コオロギ食。コオロギ食に抵抗感を抱く人が、これをきっかけに食品表示について学んで買物をするときにしっかりチェックするようになれば、これも立派な成長体験ですよね。
「災い転じて福となす」とまではいかなくても、失敗を含めてあらゆる出来事から何事かを学び取って、いくつになっても人間としての成長を続けていきたいものです。
「一生勉強、一生青春」(相田みつを)
諺「習うは一生」のとおり、世の中は常に変化して新しくなっていくことことから、人間にはいくつになっても学ぶべきことがあれこれあって、一生を通して常に学び続ける必要がある、というのはもっともです。
でも、一生「~しなければねばならない」というのは息がつまりそうですので、私は、「習うは一生」よりも、書家相田みつを氏(故人)の名言の一つ「一生勉強、一生青春」(注2)を意識しています。
(注2)私流の解釈かもしれませんが、「一生勉強と一生青春は一枚の紙の裏表のようなものなので、年を取って頭も心も固くなってしまわないために、いくつになっても何かに打ち込む(勉強する)ことで、心の柔らかさを保つことができ、一生青春を保つ。」。