あなたは「心身一如」の肯定派? それとも否定 or 懐疑派?

東洋医学は「心身一如」

西洋医学は心と体は別のものと考えて発展してきたのに対して、東洋医学は「心身一如」(注1)、心と体を分けないで一つのものとして認識する、とされています。心と体は互いに影響し合っているという考え方なのです。
「健康な心が健康な体をつくる・健康な体が健康な心をつくる」
昔から「病は気から」と言いますよね。

ちなみに、現代科学では、物質の質量とエネルギーとは互いに一定の比率で移り変りうるものであって、本質的には同一のものの二つの面に過ぎないことが、理論的にも実験的にも証明されています。

最先端の科学によれば、思考が健康を司る仕組みに身体はできているようなのです。

(注1)「一」 は不二、「如」は不異の意味で、「一如」は真理はただ一つであるという意味。

東洋医学の「七情」(しちじょう)

東洋医学の「七情」とは、「怒り」「喜び」「憂い」「思い」「悲しみ」「恐れ」「驚き」の七つの感情のことです。
ポイントは感情の程度です。普通であれば特に問題はないのですが、いずれの感情についても「度が過ぎる」と(さらに「長引く」とより一層)、身体(の感情ごとに対応したパーツ)に悪影響を及ぼし、不調や病気を発生させることにつながります。
つまり、心が健康でないと体も健康でなくなるということです。

東洋医学では、「怒り」過ぎると、イライラしたり、気が昇って、「肝」を傷つけるとされています。
「喜び」であっても、喜びが強過ぎると、気が緩んでしまい、「心」や「肺」を傷つけるとされています。
過度の「憂い」・「悲しみ」は、呼吸の異常や気力や意欲の低下などが見られることがあり、主に「肺」と「脾」を傷つけるとされています。
「思い」については、不安なことが多かったり、焦りなどが過度になると、食欲不振や軟便・下痢など消化器の機能低下を生じ、主に「脾」を傷つけるとされています。
「恐れ」・「驚き」については、恐いことが度重なったり、不意なことに強度に驚く状態は、過度に緊張している状態であって、「腎」を
傷つけるとされています。

社会問題化しつつある “オーバードーズ”(薬物過剰摂取)

「オーバードーズ(Overdose)」とは、多幸感を得て精神的な苦痛から逃れようと、医師が処方した薬やドラッグストアで買えるせき止め薬などを大量に摂取することを言います。
最近、医師の診断を受けて発行してもらった処方箋がなくても薬局で自由に購入できる市販薬がオーバードーズの対象となっているそうです。
問題は、市販薬の中にも、覚醒剤その他の麻薬のような作用を生じる成分が含まれているものがあるので、決められた用法・用量を守らなければ、急性毒性のために死んでしまったり、使い続けることで依存症に陥り、薬なしでは生活できないという状態になってしまうこともあるということです。

“体の健康も心の健康も、健康を回復して健康を維持する最も効果的な手段・方法は薬の摂取である” という考え方こそが、オーバードーズの出発点ではないでしょうか?

「心身一如」の無知ないし忘却による誤った “薬信仰” なのが残念でなりません。

「心と体」、「精神面と物質面」の両方の調和が大切

「健康な体が健康な心をつくる」。私は、健康体操、ストレッチなどの軽めの運動や気分転換の散歩など、体を意識して動かすことがポイントだと思います。

「健康な心が健康な体をつくる」。“笑う門には福来る”--先人の知恵は大切ですね。
また、私は、落ち込むことがあってもいつまでもクヨクヨしないで、洋画の名セリフ “After all,tomorrow is another day.(明日は明日の風が吹く)”(注2)や、画家の はせくら みゆき さんのお言葉「強気・陽気・元気」を、自分で自分に言い聞かせていわば自己暗示にかけるようにしています。

(注2)映画『風と共に去りぬ(Gone with the Wind)』(1939年公開のアメリカ映画。日本では1952年に全国ロードショー)のラストシーンでの主人公スカーレット・オハラのセリフ。

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