当たり前のことを “争点” と呼ぶ読売新聞の異様——本当に問うべきは「移民政策」そのもの

2025年7月15日付の読売新聞夕刊に掲載された記事『外国人政策「司令塔」発足』は、石破政権が外国人政策の司令塔組織を内閣官房に新設し、次のような指示を出したと報じています。
□ルールを守らない外国人への厳格な対応
□社会保険料の未納防止
□土地取引規制の必要性

この記事の中では、「参院選で外国人政策が争点の一つに浮上している」との解説も添えられていました。

しかし、この記事を読んで、私は強い違和感を抱かざるを得ません。

「争点」とは、本来どういうものか?

そもそも「争点」とは、意見が分かれているからこそ争点になるのであって、「ルールを守らない外国人には厳しく対応すべき」「社会保険料の未納は防ぐべき」「外国人による土地取得には規制が必要」——これらは、特に賛否を分けるような話ではなく、国として極めて当然の対応であるはずです。

にもかかわらず、これらを「争点」として取り上げるというのは、反対の立場も当然存在するかのような印象操作ではないでしょうか?

これは「争点のすり替え」である

この記事の問題は、それだけにとどまりません。

日本政府はこれまで、「日本は移民を受け入れていない」と繰り返し説明してきました。しかし実際には、技能実習制度や特定技能制度を拡充させ、実質的に移民政策を推進してきたことは周知の事実です。

本来、国政選挙で問うべきは、このような政府の移民政策そのものの是非であるべきです。

ところが読売新聞の記事は、移民政策の是非という根本的な問いを避け、まるで移民受け入れが既定路線であるかのような前提のもと、「外国人政策の対策強化」だけを取り上げ、「争点」として報じているのです。

これでは、国民の関心と判断を肝心な論点から逸らす結果になりかねません。

「ルールを守らない外国人」が問題であることは前提であって争点ではない

繰り返しますが、ルールを守らない外国人への厳格な対応」や「社会保険料の未納防止」「土地取引の規制」は、国民の安全と公正を守るために不可欠な前提であり、わざわざ選挙で「争う」ような問題ではありません。

むしろ、有権者が本当に問うべきなのは:
なぜ日本政府は「移民ではない」と言いながら移民政策を進めてきたのか?
その政策によって、日本社会にどんな影響が生じているのか?
今後の外国人との共生社会の在り方はどうあるべきか?
といった本質的な問い
なのです。

おわりに:有権者一人ひとりが問わなければならない

メディアが争点をすり替えるなら、有権者自身が真の論点を見抜き、問い直すしかありません。

私たちが今、国政選挙で本当に議論すべきなのは「ルールを守らない外国人」に対する “厳罰化” のような話ではなく、日本という国家がこれからどのような社会構造を選択するのか、――すなわち、「移民政策の是非」そして「今後の在留外国人との共生社会の在り方」そのものが、私たちが真に向き合うべき問いなのです。

その議論を抜きにして、「対症療法」だけが “争点” として浮上している現状には、強く警鐘を鳴らすべきです。

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