はじめに:警戒するあなたへ──自由を守るために、まず知っておきたいこと
「スパイ防止法」と聞くと、「個人の自由が脅かされるのでは?」と身構えてしまう人もいるかもしれません。ですが今、世界の現実は、それ以上に複雑で深刻です。
2025年現在、スパイ防止法の制定に向けた具体的な政府の動きはまだ本格化していないものの、経済安全保障や情報戦をめぐる国際環境の急速な変化を背景に、その必要性が専門家や政界の中で再び注目されはじめています。
とりわけ注目すべきは、2025年7月の参院選で大きく議席を伸ばした参政党が、公式政策として「日本版スパイ防止法」の制定を訴えたことです。
参政党は、「外国勢による日本に対する侵略的な行為や、機微情報の盗取などを、機動的に防止・制圧する仕組みを構築する」ことを掲げており、スパイ防止体制の不備が安全保障上の “穴” になっているとの認識を明確にしています。
このように、スパイ防止法は、すでに一部の政党において具体的な立法課題として掲げられ、選挙でも有権者から一定の支持を受けたテーマでもあるのです。
一方で、現在の日本には「スパイ防止法」という名称の法律は存在せず、情報流出や外国の影響活動への対応は、いくつかの既存法で “部分的に” 行われているに過ぎません。
本記事では、こうした現行制度の実態を明らかにし、アメリカ合衆国・中華人民共和国・ロシア連邦など主要国との比較を通じて、なぜ今「スパイ防止法」が必要とされているのかを、冷静に、かつわかりやすく解説していきます。
現状:日本に “スパイ防止法” は存在しない
■「特定秘密の保護に関する法律」(略称「特定秘密保護法」)
「防衛」「外交」「スパイ活動対応」「テロ対策」に関する情報を “特定秘密” に指定し、漏洩者に最大懲役10年の罰則を科す法律です。
ただし、「何が秘密か」は行政が一方的に決定し、それを覆す司法審査の仕組みが不十分だという批判があります。
■「刑法」第100・101条(間諜罪)
外国の利益のために軍事機密等を収集した場合に適用されるものの、実際にはほとんど適用例がなく、実効性に疑問が指摘されています。
■「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」(略称「通信傍受法」)
主に組織犯罪捜査を対象に通信の傍受を認める法律。しかし、スパイ事件では適用が困難で、調査機関の権限は厳しく制限されています。
他国はどう対応している?
■アメリカ合衆国:制度と運用で最強の体制
○「Espionage Act(スパイ活動法)」
機密情報の漏洩・取得は重罪で、最高で死刑にも。過去にはローゼンバーグ夫妻がこの法律で有罪・処刑されました。
○「Foreign Intelligence Surveillance Act(外国情報監視法)」(略称「FISA」)
この法律は1978年に制定され、国家安全保障に関わる外国勢力(例:スパイ活動やテロ組織)に関する情報収集を目的として、政府が裁判所の許可を得たうえで通信傍受などの秘密監視を行うことを認めています。
FISAに基づいて設置されているFISA裁判所が、監視の合法性を事前審査する仕組みとなっています。
○「Foreign Agents Registration Act(外国代理人登録法)」(略称「FARA」)
外国政府等の利益のために行動する者には登録と公開義務が課され、透明性を確保しています。
■中華人民共和国:全方位で網羅する強力な法体系
○改正反スパイ法(2023年4月/7月施行)
国家利益に関わる情報の取得も違法に拡大され、公安機関には通信傍受や財産調査、出国制限など強大な権限があります。
○国家安全法やサイバー法との連携もあり、外国企業・研究者さえ摘発対象となる法制度です。
■ロシア連邦:刑法+連邦保安庁による強権的運用
○刑法第275条
国家反逆罪として、外国への情報提供等で12年〜終身刑の厳罰を規定。2023年に終身刑が加わり、取り締まりが強化されています。
○連邦保安庁(FSB)が広範な監視・摘発権限を有し、政治利用の懸念も指摘されています。
比較:日本はどこに “穴” があるのか?
日本
包括的スパイ防止法 ❌ 無し
外国影響活動の可視化制度 ❌ 無し
通信傍受・調査権限 △ 制限あり
実際の摘発例 ごく僅か
米国
包括的スパイ防止法 ✅ あり(「スパイ活動法」など)
外国影響活動の可視化制度 ✅ 「外国代理人登録法」による登録制
通信傍受・調査権限 ✅ 裁判所の許可で可能
実際の摘発例 多数あり
中国
包括的スパイ防止法 ✅ 複数法体系あり
外国影響活動の可視化制度 ✅ 法的報告義務あり
通信傍受・調査権限 ✅ 公安に強大な権限
実際の摘発例 企業・個人含め多数
ロシア
包括的スパイ防止法あり ✅ 刑法+連邦保安庁体制
外国影響活動の可視化制度 ❌(だが実態は制御)
通信傍受・調査権限 ✅ 連邦保安庁に裁量あり
実際の摘発例 年間数百件規模
このように、日本の体制は他国に比べて後れを取っていることが明らかです。
なぜ今、スパイ防止法が必要なのか?──“丸腰” でいられますか?
①技術流出や産業スパイの増加
防衛技術・量子技術・人材情報などの機密情報や先端技術という中核的資産が流出し国益が大きく損なわれる現実的リスクが高まっています。
②政治への外国影響(プロパガンダ・世論操作)
外国勢力によるSNS等を通じた世論操作や政治介入により、民主主義そのものがゆらぐ懸念があります。
③周辺諸国の積極的法整備
中国・ロシアだけでなく、カナダ・イギリスなどもスパイ対策を強化。日本は “丸腰”、“スパイ天国” と揶揄され、立法面でも脆弱な状態にあります。
国会で問われるべき論点
①包括的スパイ防止法の制定
→ 明確に “スパイ行為” を定義し、罰則を強化。
②外国代理人登録制度の導入
→ 外国のために活動する団体や個人を登録させることで外国勢力の影響活動を可視化。
③通信傍受・捜査権限の見直し
→ 捜査機関に必要な権限を与えながら、民主的チェックを併存させることで、監視体制と透明性の両立を図る。
④企業・大学の情報管理強化
→ 産業スパイ対抗や経済安全保障の整備。
おわりに:抑止なき自由は守れない
スパイ防止法の議論に対して、「国家が情報を隠そうとしているのでは」「言論の自由が制限されるのでは」といった懸念の声があるのは確かです。
しかし、スパイ防止体制とは決して国民の自由を奪うための仕組みではありません。
むしろそれは、自由で開かれた社会を維持するためにこそ、外からの脅威に備える抑止力として必要不可欠なものなのです。
現代のスパイ活動は、もはや特殊な映画の中だけの話ではありません。
SNSを通じた情報操作、企業や大学へのハッキング、外国資本による政治的な影響工作――私たちの身近なところに、すでに目に見えにくい脅威が存在しています。
国家がきちんと情報と安全を守る仕組みを持たなければ、かえって国民の自由や暮らしは脆くなるばかりです。
現代社会において、スパイ防止体制は、平和と民主主義を現実に守るための土台であり、国家の基本的な責任のひとつといえるでしょう。
「監視社会になるのでは」といった不安と、「何も守られていない現状」の両方を直視したうえで、バランスある制度設計と議論が求められています。
いまこそ、私たち一人ひとりが「安全保障の備え」について自分ごととして考えるべき時が来ているのではないでしょうか。
次回予告
「仮題:スパイ防止法は言論の自由を侵すのか?」──その論点を、民主主義との整合性を中心に掘り下げます。