※この投稿記事は、2025年7月22日付け投稿記事『本当に「スパイ防止法」って自由を奪うの?─日本の “穴” を埋める鍵がここに』の続編です。
はじめに──「不安」から始めない議論のために
「スパイ防止法」と聞くと、「監視社会」「言論統制」「国家による弾圧」など、強い警戒感を抱く人も少なくありません。戦前の苦い記憶を思い出し、「またあのような時代に戻るのでは」と不安を感じるのは、ある意味で自然な反応でしょう。
しかし、感情的な不安だけで議論を止めてしまっては、かえって自由と民主主義を守る道を閉ざしかねません。今、世界では情報が “武器” になる時代に突入しています。情報の漏洩や世論の操作といったスパイ活動が、私たちの暮らしに直接的な脅威として迫ってきている現実を直視する必要があります。
果たして、「自由」とは “何もしないこと” なのでしょうか? 本当に自由を守るとはどういうことか――。本稿では、その問いに立ち返りながら、スパイ防止法と民主主義が共存できるのかを考えていきます。
スパイ防止法とは何か? なぜ今、必要なのか?
現在の日本には、諸外国に比べて「スパイ行為」を直接取り締まる法律がきわめて乏しいという実態があります。たとえば、刑法には外患誘致罪(刑法第81条)や秘密保護法がありますが、これらは適用の範囲が非常に限定的で、現代的なサイバー工作や経済スパイ、学術機関への影響工作には十分に対応できていません。
実際に、日本国内では以下のようなケースが問題になっているにもかかわらず、十分な法的対応が取れていない状況です。
○防衛施設周辺での不審な撮影や土地買収
○大学・研究機関への外国資金の流入と共同研究の不透明化
○日本企業に対するサイバー攻撃や技術情報の流出
○SNSを使ったフェイクニュースの拡散や世論操作
これらはすでに現実に起きており、国家の安全保障だけでなく、経済、科学技術、そして民主主義そのものを脅かす深刻なリスクとなっています。
言論の自由とスパイ防止法は矛盾するのか?
「スパイ防止法をつくると、政府に都合の悪い情報が隠されてしまうのでは?」「報道や表現の自由が侵されるのでは?」という懸念は根強くあります。戦前の言論統制の記憶を踏まえれば、慎重になるのは当然です。
しかし、ここで問いたいのは、「本当の自由とは何か?」ということです。
外部からの世論操作や分断工作によって、知らぬ間に私たちの情報環境がゆがめられていたとしたら、それでも「自由が保たれている」と言えるのでしょうか?
自由を守るには、それを破壊しようとする外的な干渉に対抗する備えが必要です。つまり、「自由」は “放置” によって守られるものではなく、“防衛” によってこそ守られるのです。
世界の常識、日本の非常識──“スパイ天国” という現実
たとえば、アメリカ合衆国には1938年に制定された「外国代理人登録法(FARA)」があり、外国勢力の利益のために政治活動などを行う者は、その関係性を開示する義務があります。違反者には厳しい罰則が科されます。
イギリスも同様に、2023年に「国家安全法(National Security Act)」を新たに制定し、外国勢力による影響工作や機密情報の収集行為を取り締まる法制度を強化しました。
対照的に、日本では、仮に重要な情報を外国に漏洩しても、それが防衛機密や特定秘密に該当しなければ、ほとんど処罰されません。
このような状況が続けば、日本は “スパイ天国” と呼ばれ続けることになっても不思議ではないのです。
さらに、大学や研究機関が、外部からの資金や提携を通じて、知らず知らずのうちに外国の国家戦略の一部に組み込まれているケースも指摘されています。これは「学問の自由」や「知の独立性」にも深刻な影響を及ぼす問題です。
スパイ防止体制と「人権」の両立は可能か?
「スパイ防止法ができると人権が制限される」という不安に対して、まず大前提として確認しておきたいのは、「制度設計次第で、自由と安全は両立できる」ということです。
以下のような民主的統制の枠組みを制度に盛り込むことで、過剰な監視を防ぎつつ、必要な安全保障を実現することが可能です。
○捜査の適正手続きを担保する法的ルール
○令状主義の徹底と司法の監視
○国会や独立監視機関による運用チェック
○報道機関の取材活動保護条項の明記
○情報開示・透明性の確保
現代の情報戦では、自由を脅かすのは「国家」だけとは限りません。むしろ、外国勢力による “見えない支配” こそ、民主主義の根幹を揺るがす脅威です。
言論の自由を守るためにこそ、国の主権と情報の安全を守る体制は不可欠なのです。
“反対する人” の主張は本当に正しいのか?
ここで注目すべきは、スパイ防止法の議論が起きるたびに、極端な表現で不安を煽り、制度の整備そのものを拒否しようとする一部の政治的勢力の存在です。
「政府に情報を隠される」「報道が規制される」「弾圧が始まる」といった主張が、あたかも既定事実であるかのように拡散され、建設的な議論が妨げられるケースも少なくありません。
なぜ彼らは、これほどまでにスパイ防止体制の整備を恐れるのでしょうか?
背後にある政治的利害や、国際的なつながりを考えれば、その反対理由自体が、私たちが法制度を必要とする理由の一つである可能性もあるのです。
大切なのは、感情的なレッテルではなく、「誰が、何の目的で、なぜ反対しているのか?」という問いを私たち自身が持つことです。
いま私たちに求められる “当事者意識”
「スパイ防止法なんて、自分には関係ない」と感じる人もいるかもしれません。
しかし、SNSのタイムライン、検索結果、ニュース記事――すでに私たちは、無意識のうちに “情報工作” の影響下に置かれているかもしれないのです。
自由な社会を維持するためには、外からの脅威に「無関心」でいることこそが最大のリスクです。自分の生活と自由を守るために、スパイ防止体制の整備は他人事ではありません。
おわりに──冷静さこそが民主主義の強さ
スパイ防止法に関する議論は、決して「賛成か反対か」だけの単純な問題ではありません。
私たちが考えるべきは、「どのような制度ならば、自由を損なわず、脅威に対応できるか」というバランスの問題です。
冷静に事実を見極め、制度の濫用を防ぐ仕組みを備えたうえで、安全保障と人権の両立を実現する。
それこそが、成熟した民主国家が果たすべき責任ではないでしょうか。
スパイ防止法は、自由を制限する “盾” ではなく、私たちの社会と未来を守る “防御壁” として必要なものです。
今こそ、感情ではなく理性で、国家と自由のあり方を考える時です。