その一口に1300年の知恵:夏の疲れに効くと言われる「鰻」の秘密、知っていますか?
毎年7月になると、スーパーやコンビニの店頭に「土用の丑の日」の文字が踊り、うな重や蒲焼の香ばしい広告が目につくようになります。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみてください。
「どうして、夏に鰻?」
「なぜ “丑の日” なの?」
この素朴な疑問には、現代人がつい見落としてしまいがちな、自然とともに暮らしていた時代の知恵と文化が詰まっています。
この記事では、江戸時代の広告マン・平賀源内から、奈良時代の歌人・大伴家持にまでさかのぼりながら、「鰻と夏バテ」の意外な関係をひもときます。
読み終えたころには、きっと今年の鰻が、もっと味わい深く感じられるはずです。
「土用」とは、いつのこと?
「土用」とは、立春・立夏・立秋・立冬の直前、約18日間ずつ設けられている “季節の変わり目” にあたる特別な期間です。
もともとは古代中国の自然哲学「五行思想」に由来しており、四季の移り変わりに“土”の気が加わるとされたことから名付けられました。
そのうち、立秋(およそ8月7日)の直前18日間が「夏の土用」にあたり、この期間中の「十二支」で丑の日にあたる日が、いわゆる「土用の丑の日」です。ちなみに2025年は、7月19日(土)が「一の丑」、7月31日(木)が「二の丑」です。
「丑の日に鰻」って、江戸時代から?
この風習のルーツとしてよく知られているのが、江戸時代の学者・平賀源内のエピソードです。夏場に売れなくなった鰻屋が相談に来たところ、源内は「丑の日に “う” のつくものを食べると夏負けしない」という民間信仰をヒントに、「本日土用丑の日」と看板を出させたのが始まり――いわば、日本最古のマーケティングとも言える話です。
しかし実は、もっと古い時代から「夏バテに鰻」は知られていた可能性があるのです。
鰻と夏痩せの関係は、奈良時代から?
奈良時代に編まれた日本最古の歌集『万葉集』には、大伴家持(おおとも の やかもち)が詠んだこんな歌が残されています。
石麻呂にわれ物申す 夏痩の
よしといふ物ぞ 鰻取り食せ
これは、友人の吉田石麻呂に「夏バテには鰻がいいと聞いたよ、ちゃんと食べなよ」とすすめている内容。
つまり今から約1300年前にはすでに「鰻=夏の滋養食」という認識があったということになります。
じゃあ、その間はどうだったの?
では、奈良時代から江戸時代までの間、「鰻=夏バテ予防」という考え方はどう受け継がれていたのでしょうか?
実はこのあいだの記録は非常に少なく、確かなことは言い切れませんが、いくつかの断片的な事実から推測できます。
貴族や医師の間では、『医心方』や『本草和名』といった古代〜中世の医学書に鰻の栄養価が記されており、一定の知識層には「体によい魚」として知られていたようです。
武士階級では、保存性に劣る鰻はあまり重宝されなかったと見られています。ただし、スタミナ源としての認識はあった可能性があります。
一般庶民には、鰻は川魚のひとつとして存在していたものの、頻繁に口にできるようになったのは、都市の発展と流通の整備が進んだ江戸時代以降のことです。
つまり、「夏に鰻を食べる」という知恵は一部の層には知られていたが、全国的な習慣として定着したのは江戸時代の後半、平賀源内の時代になってからと考えるのが妥当です。
鰻はなぜ “夏バテに効く” のか?
鰻は、ビタミンA、B群、D、Eをはじめ、カルシウム、鉄、亜鉛、DHA、EPAなど、夏バテに効果的な栄養素を豊富に含む魚です。とくにビタミンAは100gで成人の一日分を補えるほどで、食欲増進や体力回復に役立つとされています。
だからこそ、昔の人々は経験的に「夏の疲れには鰻」と感じ、それが風習となって受け継がれてきたのでしょう。
おわりに:風習の背景を知ると、味わいも深くなる
「土用の丑の日に鰻を食べる」――それは、単に美味しいからではなく、長い歴史のなかで培われた生活の知恵であり、現代にも通じる栄養学的根拠を持つ習慣です。
今年の丑の日、うな重をいただくときは、ぜひこの背景にも思いを馳せてみてください。
1300年前の大伴家持も、もしかしたら同じように、夏の疲れを癒しながら鰻を味わっていたのかもしれません。