【公共放送の名に値するのか】NHKの “意図確認で済ませる” 体質と、公共性を曖昧にする組織文化を問う

公共放送とは何か。
NHK自身はこう説明している。
「公共放送とは、営利を目的とせず、国家の統制からも自立して、公共の福祉のために行う放送である」

だが、この理念は、近年のNHKの振る舞いと照らすと、額面通りには受け取れない。
特に、今回問題となった「紅白歌合戦の出場グループをめぐる “原爆表象” 問題」へのNHKの対応は、公共放送としての自覚と倫理基準の甘さを露呈したと言わざるを得ない。

「意図がなかったので問題なし」という “公共放送らしからぬ” 判断

12月2日の国会質疑(参議院総務委員会)の中で、石井苗子議員は
「きのこ雲のライトを『可愛い』と評価した人物が所属するグループの紅白出場停止を求める署名が10万人を超えた。どう判断したのか」
と問いただした。

NHK・山名啓雄専務理事の回答は簡潔だった。
「原爆被害を軽視・揶揄する意図はないと確認した」

問題はまさにここである。
公共放送に求められるのは、
“意図”
ではなく、“社会的影響” や “歴史的配慮” を判断基準にする姿勢だ。
原爆の表象は世界的にも極めてセンシティブであり、戦争体験の継承に大きな役割を果たしてきたNHKなら、なおさら慎重であるべきだ。
しかしNHKは、まるで民間企業の危機管理のように「本人の意図」を聞いて済ませている。ここには、公共放送としての使命感や高い倫理基準は見えない。

10万人の署名が集まる社会的反応を前にして、
・外部の専門家意見は聴取したのか
・社会的影響の分析はしたのか
・内部審査のプロセスはどうだったのか
といった説明を一切行わない。
これでは透明性がないと言われても反論の余地はない。

なぜNHKは “意図の確認で済ませる” ほど鈍感になってしまうのか

ここには、NHKという巨大組織が抱える構造的問題が潜んでいる。
(1)政治と完全に独立できない制度構造
NHKの予算は国会承認が必要であり、経営委員会の人事も政府が強く影響する。
制度的には「国家から自立」と言うが、実態としては「政治と距離をとりすぎることができない」。
(2)巨大組織ゆえの “行政的官僚性”
NHKは10,000人規模の組織で、
・忖度
・前例踏襲
・リスク回避
といった文化が染みつきやすい。
大胆な編集判断や、真正面からの自己検証は起こりにくい。
(3)編集方針の不透明性
海外公共放送のように、
「なぜこのテーマを扱い、世界観をどう位置づけるか」
といった編集ガイドラインを詳細に公開していない。
そのため、国民からは
「特定の価値観に基づいて報道しているのでは?」
という疑念が自然と生まれる。

NHKには “偏りが出やすい体質” がある

上記の構造を総合すると、NHKは
・制度的には中立を求められているが、実態としては完全に中立とは言い難い
という、非常に厄介な位置にある。

意図的な政治的工作が行われているという話ではない。
しかし、
・国際協調的価値観
・反差別・人権重視の論調
・戦争被害の再認識を強調する構成
・行政発表を重視する姿勢
など、一定方向の価値観が組織文化として自然に形成されていることは否定しがたい。

こうした「価値観の偏り」は、
編集責任者や現場スタッフの
“無意識” によって生まれるため、かえってやっかいだ。

結果として、今回のように
「本人に悪気がないなら問題なし」という軽い判断
が生まれてしまう。

NHKに欠けているもの――“公共性の根拠” の可視化

公共放送が国民から信頼されるために必要なのは、
「なぜその判断をしたのか」を説明できる透明性だ。

しかしNHKには
・判断基準は何か
・社会的影響の評価はどう行っているか
・公共性とは何かをどう定義しているか
といった要素が、驚くほど明示されていない。

この「基準の不透明さ」こそが、国民からの不信を生む最大の源泉である。

NHKが “あるべき公共放送” へ戻るために必要なこと

① 編集方針・判断基準の徹底的な可視化
英国放送協会(British Broadcasting Corporation:BBC)や米国の公共放送サービス( Public Broadcasting Service:PBS)のように、編集ガイドラインや価値観を明確に示し、
「NHKは何を公共性と考えるのか」
を外部に説明する必要がある。
② 社会的影響を中心に据えた審査体制
「意図」ではなく「公共的影響」の観点から判断する──
公共放送として当然の基準を確立し、具体的に運用すべきだ。
③ 外部専門家によるチェック機能の強化
政治ではなく、学術・市民社会・歴史研究など多方面の専門家が参画するレビューを常設化する。
④ 国民への説明責任の徹底
批判や疑念が出たとき、
“沈黙してやり過ごす体質”
から決別しなければならない。

おわりに

NHKは、日本で唯一「国民から事実上強制的に受信料を徴収するメディア」である。
その負託は、民放とは比べものにならない重さを持つ。

しかし、今回のような
「意図がないから問題なし」
という杜撰で不透明な判断は、公共放送の名に値しない。

公共放送は「国民の共有財産」である。
NHKには、その自覚のもと、
透明で、説明責任を果たし、公共性を最優先する組織へと生まれ変わること
が強く求められている。

それこそが、今回の事案が突き付けた、本質的な問いなのだ。

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