経団連と選択的夫婦別姓――経済団体の役割と社会的責任を問うはじめに――なぜ今、経団連の提言に違和感を覚えるのか

日本経済団体連合会(経団連)は、日本を代表する企業・業界団体・地域経済団体によって構成される、極めて影響力の大きな総合経済団体です。その使命は「日本経済の自律的な発展と国民生活の向上に寄与すること」にあるとされています。

しかし近年、経団連が「選択的夫婦別姓」の導入を政治に要望していることについて、私は強い違和感を覚えています。それは賛否以前に、「経済団体として、どこまで踏み込むべきなのか」という、より根本的な問題を孕んでいるからです。

本稿では、感情論ではなく公共的議論として、この問題を整理してみたいと思います。

経団連が意見表明する「権利」自体は否定されない

まず確認すべき前提があります。それは、経団連がこの問題について意見を述べる権利そのものは否定できない、という点です。

経団連は民間団体であり、法人にも思想・表現の自由は保障されています。また、企業活動と人事制度、国際取引、海外との制度差といった観点から、夫婦の姓の扱いが実務上の問題として語られることも理解はできます。
したがって、「経団連は一切口を出すべきではない」と主張することは、現実的でも憲法的でもありません。

問題は、「何を、どのように、どの重みで語っているのか?」なのです。

論点の扱いがあまりに粗雑ではないか

選択的夫婦別姓をめぐっては、長年にわたり、社会の中で積み重ねられてきた論点があります。たとえば、
・旧姓使用の自由に法的根拠を与えるだけで十分ではないのか
・夫婦別姓は「個人の自由」であっても、無制限に認めるべき性質のものなのか
・戸籍制度は本当に「時代遅れ」なのか、それとも日本社会の安定を支えてきた制度なのか
これらは、賛成・反対のいずれの立場であっても、正面から検討されるべき重要な論点です。

しかし、経団連の提言では、こうした論点が丁寧に検討された形跡が乏しく、あたかも制度変更が「当然」「不可避」であるかのように扱われています。
この姿勢は、社会的影響力を持つ団体として、あまりに粗雑であると言わざるを得ません。

社会的影響への配慮の欠如と、世論の分断の軽視

夫婦別姓の問題は、単なる制度設計の話ではありません。
・家族観
・親子関係
・戸籍制度
・社会的な連帯感
といった、日本社会の基層に関わるテーマです。当然ながら、国民の間でも意見は大きく分かれています。

こうした問題に対して、本来、影響力の大きな団体に求められるのは、
・世論が割れている現実を踏まえ
・複数の論点を整理し
・政治に対して「判断材料」を提供する姿勢
です。

ところが、経団連の提言は、世論の分断や慎重論を軽視し、結論ありきで政治に要望を突きつけているように映ります。
その結果、「国民的合意形成」という民主主義のプロセスが脇に追いやられている印象を与えています。

「経済団体の社会的責任」という視点

経団連は、一企業や一市民団体とは比べものにならない政治的影響力を持っています。
だからこそ、その発言には特別な社会的責任が伴います。

経済合理性や国際比較だけを根拠に文化や家族制度の在り方に踏み込み、結論を提示することは、
・「経済団体が社会の価値観設計にまで介入している
という印象を与えかねません。

これは、エリート主義的、あるいは上から目線と受け取られても不思議ではない態度です。

結論――経団連は自らの使命を再確認すべきである

改めて整理すると、次のように言えるでしょう。
・経団連がこの問題に言及する権利はある
・しかし、論点の扱いは粗雑であり
・社会的影響への配慮が不足し
・世論の分断を軽視している
・その結果、「経済団体が文化・家族制度の設計に踏み込み、結論を押し付けている」印象を与えている

経団連の使命は、あくまで「日本経済の自律的な発展と国民生活の向上」にあります。
そして、「国民生活の向上」とは、経済団体が社会の価値観や家族観の再設計を主導することと同義ではありません
この点を、経団連自身が肝に銘じる必要がある
のではないでしょうか。

選択的夫婦別姓の是非そのものとは別に、「誰が、どの立場で、どのような責任を負って語るのか」――その問いこそが、今、改めて問われているのだと思います。

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