経団連と連合――異なる立場、同じ構造的問題――巨大団体は、どこまで社会の価値観に踏み込むべきでしょうか

はじめに

日本経済団体連合会(経団連)と日本労働組合総連合会(連合)。
一方は企業・資本側を代表する経済団体、他方は労働者側を代表する労働団体であり、本来であれば社会問題において対立軸に立つ存在です。

ところが、「選択的夫婦別姓」をめぐる近年の言動を見ると、両者には立場の違いを超えた共通の構造的問題が見えてきます。

本稿では、制度の賛否そのものではなく、
「誰が、どの立場で、どの責任を負って語るのか」
という観点から、この問題を整理してみたいと思います。

意見表明の権利は、否定されません

まず確認しておくべき前提があります。
経団連にも連合にも、民間団体として政治や社会制度について意見を述べる権利があります。

企業活動や雇用慣行、職場での不利益、国際取引や海外制度との差異など、氏の扱いが実務や労働環境に影響する場面が存在すること自体は否定できません。
したがって、「経団連や連合は一切この問題に口を出すべきではない」という主張は、現実的でも憲法的でもありません。

問題は、意見を言うことそのものではなく、その語り方と重みです。

論点整理より「結論提示」が先行していないでしょうか?

選択的夫婦別姓をめぐっては、長年にわたり多くの論点が積み重ねられてきました。
・旧姓使用に法的安定性を与えることで、実務上の不利益はどこまで解消できるのでしょうか?
・夫婦や親子が同じ氏を名乗ることの社会的意味は、どのように評価されるべきでしょうか?
・戸籍制度は単なる慣習なのでしょうか、それとも社会の安定を支えてきた基盤なのでしょうか?
・個人の自由と家族制度の公共性は、どこで調整されるべきなのでしょうか?

本来、社会的影響力の大きな団体であれば、こうした論点を整理し、政治に対して判断材料を提供する役割が期待されます。

しかし現実には、経団連も連合も、これらの論点を十分に掘り下げることなく、制度変更をあたかも「当然」「不可避」であるかのように扱い、結論を前面に出して政治に要望しているように映ります。
ここに、両者に共通する問題構造があります。

巨大団体であるがゆえの「社会的責任」

経団連も連合も、単なる一市民団体ではありません。
政治や行政に直接アクセスでき、政策形成や世論に現実的な影響力を持つ、いわば準・政治主体とも言える存在です。
だからこそ、その発言には特別な社会的責任が伴います。

社会の中で意見が大きく割れているテーマについて、
・世論の分断を十分に意識せず
・内部に多様な意見が存在する可能性にも目を向けず
・一つの価値観を「代表的意見」であるかのように提示する
こうした姿勢は、民主主義における熟議のプロセスを弱めかねません。

特に連合の場合、「労働者の代表」という立場を掲げる以上、組合員内部の価値観の多様性をどこまで反映しているのか?、という問いも避けて通れないでしょう。

本来の使命との距離

経団連の使命は、日本経済の自律的な発展と国民生活の向上に寄与することです。
連合の使命は、労働者の権利と労働条件の向上を通じて、より良い社会を実現することにあります。

しかし、それは必ずしも、
経済団体や労働団体が、社会全体の家族観や文化的価値観の設計を主導することと同義ではありません。

結論を押し付けるのではなく
論点を整理し、利害を可視化し、政治と社会に判断材料を提供する。
それこそが、巨大団体にふさわしい関与のあり方
ではないでしょうか。

おわりに

改めて強調したいのは、本稿の問題意識は、
選択的夫婦別姓の「賛成か反対か」ではない、という点です。

問われているのは、
「誰が、どの立場で、どの責任を負って語るのか?」
という、民主社会における発言主体の倫理です。

経団連について言えることは、連合についても言えます。
立場が異なっても、構造的な問題は驚くほど似ています。
だからこそ今、巨大団体には、自らの影響力と使命を改めて見つめ直す姿勢が求められているのではないでしょうか。

想定Q&A

Q1:結局、選択的夫婦別姓に反対しているのですか?
:いいえ、制度の賛否そのものを論じている記事ではありません。
本稿が問題にしているのは、「誰が、どの立場で、どの責任を負って制度変更を主導しているのか
」という発言主体のあり方です。賛成・反対の立場は読者ごとに異なって構いません。

Q2:経団連や連合が意見を言うこと自体が問題なのですか?
:いいえ、意見表明の権利そのものは否定していません。
問題にしているのは、巨大な影響力を持つ団体が、論点整理や社会的配慮を十分に行わず、結論ありきで政治に要望しているように見える点です。

Q3:労働や経済は生活全般に関わるのだから、家族制度に言及して当然では?
:生活と無関係ではありませんが、だからといって価値観設計まで主導してよいとは限りません。
問題提起と、社会全体の「あるべき姿」を提示することは別次元であり、後者にはより慎重な姿勢が求められます。

Q4:国際的には夫婦別姓が主流なのに、日本は遅れているのでは?
:国際比較は重要ですが、それだけで制度の是非は決まりません。
戸籍制度や親子関係、社会的連帯など、日本固有の制度背景をどう評価するかは、国内で丁寧に議論されるべき問題です。

Q5:では、経団連や連合は沈黙すべきなのでしょうか?
:沈黙ではなく、「役割に即した関与」が求められていると考えます。
結論を押し付けるのではなく、論点整理や利害の可視化、判断材料の提示に徹することこそが、巨大団体にふさわしい社会的責任ではないでしょうか。

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