※誤読防止のために
本記事は、特定の政党・思想・運動を支持または否定することを目的としたものではありません。
また、「保守」「リベラル」「市民運動」そのものを一括して批判する意図もありません。
本稿で問題提起しているのは、
報道機関が政治的立場の異なる集団を扱う際に、評価を含んだ言葉を非対称に使い分けていないか?
その点を「報道倫理」と「国民の知る権利」の観点から検証することです。
どの立場であれ、
同じ政治活動には同じ説明基準が適用されるべきであり、
その原則が守られているかを問うことは、民主主義社会において正当な公共的議論だと考えています。
本記事の趣旨を、
「右派擁護」や「左派攻撃」といった単純な対立構図で受け取らないよう、
あらかじめご留意ください。
はじめに
日本のニュース報道を見ていて、次のような違和感を覚えたことはないでしょうか。
国益や安全保障、伝統文化を重視する主張
→「右翼」「極右」と表現される
一方で、政策変更や制度改革を求める運動
→「市民団体」と紹介される
どちらも明確な政治的主張を行う「政治アクター」であるにもかかわらず、
用いられる言葉が大きく異なる。
これは単なる言葉の好みや表現技法の問題ではありません。
本稿で扱うのは、
報道機関としての倫理、政治的公平性、そして国民の知る権利という、
民主主義の根幹に関わる問題です。
「右翼」「極右」というラベルが先に結論を与える
「右翼」「極右」という言葉は、日本社会において極めて強い評価語です。
多くの読者・視聴者は、この言葉を目にした瞬間に、
・危険
・過激
・排外的
・非合理的
といった否定的イメージを思い浮かべます。
本来、保守的立場やナショナリズムには幅があります。
政策論としての安全保障論もあれば、穏健な国益論も存在します。
しかし報道の場では、
それらがしばしば一括して「右翼」「極右」と表現されます。
この時点で、読者は事実関係を読む前に、
評価を先に受け取ってしまうのです。
「市民団体」という無色透明な言葉の持つ力
一方、「市民団体」という表現はどうでしょうか。
この言葉が与える印象は、
・一般市民
・善意
・中立
・常識的
といった、きわめて肯定的なものです。
しかし現実には、
・特定政党と人的・組織的に深く結びついている
・過去に選挙支援や共闘関係がある
・幹部が党関係者である
こうした団体が、「市民団体」とのみ表現されるケースは少なくありません。
政治的背景を伏せたまま紹介することで、
主張の “立ち位置” が意図的に見えにくくなる。
これもまた、言葉による評価操作の一形態です。
同じ政治活動、正反対のラベリング
ここで整理してみましょう。
観 点 「右翼」 「市民団体」
実 態 政治的主張を行う集団 政治的主張を行う集団
ラベルの性格 否定的評価語 中立・好意的表現
読者の先入観 警戒 共感
行為は同じでも、言葉が違えば評価が正反対になる。
これは偶然ではなく、
報道の枠組み(フレーミング)の問題です。
これは「報道の自由」ではなく「報道倫理」の問題です
ここで重要な点を明確にしておきます。
本稿で問題にしているのは、
「どんな意見を報じているか」ではありません。
報道機関が、どのような基準で説明しているかです。
報道機関は、
・取材権
・情報への優先的アクセス
・社会的影響力
を持つ、明確な公共的存在です。
そのため、個人の表現とは異なり、
報道倫理に従う義務を負っています。
評価を内包した言葉を、立場によって使い分ける行為は、
事実の説明ではなく、価値判断の押し付けです。
これは報道倫理上、極めて重大な問題です。
記者倫理綱領との照合――何が逸脱しているのか?
日本の報道機関が共有してきた倫理原則には、次のような要点があります。
・事実を正確に伝えること
・公正・公平を期すこと
・意見と事実を明確に区別すること
これに照らすと、
・右派には否定的評価語
・左派系には中立的・善意的表現
という非対称なラベリングは、
・事実と評価の混同
・公平性の欠如
・読者への先入観の付与
という点で、
倫理原則から逸脱していると言わざるを得ません。
想定される「報道側からの反論」へのQ&A
Q1:「分かりやすく伝えるための表現では?」
A:分かりやすさは重要ですが、
分かりやすさと評価の誘導は別問題です。
「右翼」「市民団体」は、説明語ではなく、明確な印象操作語です。
Q2:「事実は報じている。問題ないのでは?」
A:事実を部分的に示すだけでは不十分です。
発言主体の政治的背景という判断に不可欠な情報を伏せることは、
国民の知る権利を尊重しているとは言えません。
Q3:「すべて説明すると記事が長くなる」
A:制約があるなら、左右いずれにも同じ基準を適用すべきです。
一方だけ簡略化し、もう一方だけ評価語を付すのは、公平性を欠きます。
なぜ視聴者・読者は気づきにくいのか?――心理的要因
この問題が厄介なのは、
多くの人が偏向に気づきにくい点にあります。
理由は三つあります。
① 言葉が「説明」に見える
ラベルは解説の一部に見え、
評価だと認識されにくい。
② 多数派に同調する安心感
多くのメディアが同じ表現を使うと、
疑問を持ちにくくなります。
③ 自分で判断しているという錯覚
評価を先に与えられることで、
人は「自分で考えた」と感じてしまいます。
これは民主主義にとって、非常に危険な状態です。
政治的中立を装った編集は、知る権利の軽視です
事実を完全に隠しているわけではありません。
虚偽報道とも言い切れないケースが多い。
しかし、
・必要な文脈を与えない
・政治的背景を伏せる
この行為は、
国民の知る権利を軽視していると言わざるを得ません。
侵害とまでは言えなくとも、
少なくとも尊重しているとは言えない。
場合によっては、
冒涜に近い態度です。
おわりに 言葉の裏側を見る力を!
報道を読むとき・見聞きするとき、
ぜひ一度立ち止まって考えてみてください。
・なぜこの集団は「右翼」と呼ばれたのか?
・なぜ別の集団は「市民団体」なのか?
・その基準は対称か?
言葉は、事実を伝える道具であると同時に、
評価を忍ばせる装置でもあります。
そのことに気づくこと自体が、民主主義を守る第一歩です。
