「話し合えば分かり合える」は本当か?――距離を取ることと、社会の責任の話

「ちゃんと話せば分かってもらえる」
そう信じて、何度も説明したのに、逆に関係がこじれた経験はありませんか。
言葉を選んだ。
怒らせないようにもした。
それでも、なぜか「攻撃された」と受け取られてしまう。

実はそれ、あなたの伝え方が悪いとは限りません。

話し合いが成立しない状態は、確かにある

対話は、「言葉を交わすこと」ではありません。
相手が聞く気を持っていることが前提です。

でも現実には、
・何を言っても悪意だと受け取られる
・説明すると、言い訳だと怒られる
・歩み寄るほど、支配される感じが強くなる
そんな状態になることがあります。

このとき無理に話し続けると、
対話ではなく「消耗戦」になります。

個人の関係では、「距離を取る」ことが正解な場合もある

ここで大事なのは、
距離を取る=負け、逃げ、冷たい
ではない
ということです。

むしろそれは、
・これ以上自分を壊さないため
・相手との関係を、これ以上悪化させないため
の判断です。

相手を変えられない場面もあります。
そのときに「離れる」ことは、現実的で、ちゃんとした選択です。

でも、社会は「離れればいい」では済まない

一方で、社会の話は別です。
学校、職場、ネットの議論の場では、
「合わないから距離を取る」が通用しないことも多い。

もし社会が
「嫌なら黙るか、去ればいい」
というルールで動いたらどうなるでしょう。
声の大きい人だけが残り、
攻撃的な人ほど得をする社会になります。
それはフェアではありません。

だから社会には「ルール」が必要

社会では、個人の我慢に頼るのではなく、
・人を威圧しない
・攻撃的な言動を許さない
・話し合いの最低条件を守る
こうした境界線を、制度やルールとして作る
ことが必要です。

これは自由を縛るためではありません。
みんなが安心して話せる場所を守るためです。

まとめ:二つを混ぜないことが大事

ポイントはシンプルです。

個人の関係 → 無理なら距離を取っていい
社会の場 → 距離を取れないから、ルールが必要

この二つを混ぜると、
「我慢できない人が悪い」
「分かり合えないなら黙れ」
という空気が生まれます。
それは誰のためにもなりません。

話し合いを大切にするために、
ときには距離を取り、
ときには線を引く。
きれいごとではなく、
ちゃんと現実を生きるための知恵として、
この考え方を共有したいと思います。

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