朝鮮学校無償化をめぐる国連勧告と日本政府の対応――「差別」と「区別」を混同しないために

【読者への注意書き】

本記事は、特定の民族や個人を否定・攻撃することを目的としたものではありません。
また、朝鮮学校に通う子どもやその家庭に責任を帰す趣旨でもありません。

本稿で論じているのは、
「教育への公的支援は、どのような条件で行われるべきか?」
「人権尊重と主権国家としての制度設計を、いかに両立させるか?」
という制度上・政策上の問題です。

無償化を求める意見を表明する自由は、民主社会において尊重されるべきものです。
一方で、政治・行政がその要求に応えるかどうかは、
教育の公共性、政治的中立性、公金支出の正当性といった観点から、
別途慎重に判断される必要があります。

本記事では、「賛成か反対か」という二項対立ではなく、
事実関係と制度の構造を整理した上で、冷静な議論の土台を提示することを目的としています。

感情的な賛否やレッテル貼りではなく、
制度と原則に基づく建設的な議論につながれば幸いです。

はじめに

朝鮮学校を高校無償化制度の対象外としている日本政府の対応について、国連の人権条約委員会などから「差別的ではないか」という批判が繰り返されています。
一方、日本国内では「国連の指摘は正当だ」という意見と、「内政干渉だ」という反発が対立し、議論はしばしば感情的になりがちです。

しかしこの問題は、賛成か反対か、差別か否かといった単純な二分法で判断できるものではありません。
教育制度、公的支援の条件、政治的中立性、安全保障、そして子どもの権利という複数の論点を、冷静に切り分けて考える必要があります。

本稿では、国連勧告と日本政府の対応を整理したうえで、なぜこの問題が慎重に扱われているのかを、若い世代にも分かる形で説明します。

国連はなぜ日本を批判するのか?

国連(自由権規約委員会や人種差別撤廃委員会など)は、朝鮮学校が高校無償化制度の対象外とされている点について、次のような考え方から日本を批判しています。
・朝鮮学校の生徒は民族的マイノリティである
・無償化の対象外とすることで、結果として不利益が生じている
・その結果が差別的影響を持つ可能性がある

ここで重要なのは、国連が重視しているのが制度の形式的平等よりも、結果として不利益が生じていないかという点です。
国連の視点は、人権保障を広く捉えるという意味で理解できる側面があります。

日本政府の従来の回答は妥当か?

これに対し、日本政府は一貫して次のように説明してきました。
・高校無償化制度は学校教育法に基づく制度である
・対象は「一条校」など、一定の基準を満たす学校に限られる
・朝鮮学校は法的に「各種学校」であり、制度上の対象外
・除外理由は民族や国籍ではなく、学校制度の区分である
・他の外国人学校も同様に対象外である

この説明は、法制度論としては極めて合理的です。
教育制度の設計や公的支援の範囲をどこまで認めるかは、主権国家が自国の法体系に基づいて決定する事項です。この点で、日本政府の説明は国際法上も正当性があります。
また、対象外とされている理由は「民族」ではなく「制度」であり、これは差別ではなく区別です。

それでも説明が不十分と感じられる理由

ただし、日本政府の説明は正しい一方で、国連や若い世代にとっては「なぜそこまで慎重なのか」が分かりにくい側面があります。
特に、日本政府が政治的中立性や安全保障への言及を避けすぎている点は、誤解を招いてきました。

ここを補足しない限り、「なぜ朝鮮学校だけが特別扱いされるのか?」という疑問は解消されません。

なぜ「安全保障」が教育支援の議論に関係するのか?

この問題を理解するためには、日本と北朝鮮との関係について、最低限の事実を押さえておく必要があります。

日本は、北朝鮮による日本人拉致という重大な人権侵害を、いまだに解決できていません。
これは過去の出来事ではなく、現在進行形の国家間問題であり、国家による組織的な犯罪行為として日本政府および国際社会が公式に認識しています。

また北朝鮮は、核・ミサイル開発を理由として、国連安全保障理事会の決議に基づく制裁措置を幾度となく受けてきました。
これらの制裁は、特定の国の独断ではなく、国際社会全体の合意によるものです。

このような状況のもとで、日本政府が、北朝鮮と密接な関係を持つと指摘されてきた組織や教育機関に対し、公金(税金)を支出することについて慎重になるのは、必ずしも不合理とは言えません。

重要なのは、これが「民族」や「子ども」を対象とした問題ではないという点です。
問われているのは、国際社会の一員として、どのような条件で公的資金を支出するのかという国家としての判断です。

教育の自由や子どもの学ぶ権利は尊重されるべきです。
しかし同時に、公的支援には政治的中立性、公共性、透明性が求められます。
この両立の難しさこそが、朝鮮学校をめぐる議論の核心です。

国連批判に対する反論Q&A

Q1.朝鮮学校だけを除外するのは差別ではないのですか?
A.差別ではありません。
除外の基準は民族ではなく、学校教育法上の区分と公的支援の要件です。他の外国人学校も同様に対象外とされており、制度上の区別です。

Q2.子どもに責任はないのに、不利益を与えるのは問題では?
A.子どもに責任がないことは事実です。
しかし、公金支出には公共性や中立性という要件があります。教育内容や運営体制について慎重な確認が求められる以上、行政が判断を分けること自体は避けられません。

Q3.拉致問題を持ち出すのは不適切ではありませんか?
A.不適切ではありません。
拉致問題は感情的な非難の材料ではなく、現在も解決していない国家犯罪であり、日本の安全保障政策や外交判断の前提条件です。
公的資金をどこに、どの条件で支出するかを考える際、国家間関係や国際社会での位置づけを無視することはできません。
これは民族や子どもを責める話ではなく、国家としての責任ある判断に関わる問題です。

Q4.国連勧告は無視してよいのですか?
A.国連勧告には法的拘束力はありません。
尊重すべき意見ではありますが、最終的な制度設計は主権国家の判断事項です。重要なのは、盲目的に従うことではなく、理由を説明し、対話を続けることです。

Q5.将来的に支援の余地はありませんか?
A.理論上はあり得ます。
教育内容の政治的中立性、運営や財務の透明性が客観的に確認されるのであれば、支援の在り方を検討する余地はあります。ただし、その判断は極めて慎重であるべきです。

おわりに

朝鮮学校をめぐる議論は、「差別か否か」という単純な構図では捉えきれません。
人権の尊重と、主権国家としての制度設計、公金支出の正当性を、どう両立させるかが問われています。

要求する自由は保障されるべきです。
しかし、政治・行政がその要求に応えるかどうかは、別の次元で判断されなければなりません。

感情やレッテルではなく、事実と制度に基づく冷静な議論こそが、社会に必要とされているのではないでしょうか。

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