「距離を取る」ことと、「境界線を制度で作る」こと――対話が成立しない時代に必要な二つの戦略

【誤解を避けるための注意書き】

本記事は、対話や共生の価値を否定するものではありません。
また、特定の人格類型・疾患・集団を断定的に批判したり、排除を正当化する意図もありません。

本記事で論じるのは、
個人の関係性においては、「距離を取ること」が最善となる場合があること
・一方で、社会や公共の場では、「距離を取れない関係性」を前提に、制度として境界線を設ける必要があること
という、状況に応じた戦略の切り分けです。

「誰かを黙らせるため」ではなく、
対話そのものを守るための問題提起であることをご理解ください。

対話は、いつでも成立するものではない

私たちは長らく、「話し合えば分かり合える」「誠意を尽くせば通じる」という前提のもとで、対話や共生を語ってきました。
しかし現実には、話をしようとすればするほど、かえって関係が悪化していく相手が存在します。
精神科リハビリの現場や、数多くの相談事例から指摘されているように、
・言葉がすべて「攻撃」として受け取られる
・善意と悪意の区別が失われる
・説明や配慮が、防衛反応や反撃を強めてしまう
こうした状態では、対話はもはや「意見交換」ではなく、刺激の応酬になります。

重要なのは、
対話とは「言葉を交わすこと」ではなく、「互いに話を続けられる前提」があって初めて成立する行為
という点です。

個人レベルでは、「距離を取る」ことが最善となる場合がある

この前提が失われている相手に対して、
・誠実に説明する
・理解を求める
・善意で歩み寄る
といった行為は、必ずしも関係改善につながりません。
むしろ、相手の支配欲や攻撃性を刺激し、状況を悪化させることすらあります。

このような場合、
最も現実的で、かつ誠実な選択が「距離を取ること」です。
ここで重要なのは、距離を取るという判断が、
・逃げ
・冷酷さ
・無関心
ではないという点です。
それは、
「これ以上、互いを傷つけないための判断」であり、
言い換えれば、相手の限界と自分の限界を同時に尊重する行為です。
支援者にとっても、被害を受けている側にとっても、
そして関係を終わらせる決断をする側にとっても、
「静かに離れる」ことは、きれいごとではなく、現実に即した最適解となる場合があります。

しかし社会は、「距離を取る」だけでは成り立たない

一方で、この戦略を社会全体にそのまま当てはめることはできません。
私たちは社会の中で、
・職場
・学校
・行政
・公共的議論の場
といった、個人の判断だけでは距離を取れない関係性に必ず直面します。

もし社会が、
「分かり合えないなら、各自が距離を取ればいい」
という原則だけで運営されるなら、
・声の大きい人が場を支配し
・攻撃的な言動が常態化し
・静かな人、傷ついた人から排除されていく
という歪みが生じます。

ここで必要になるのが、社会レベルでの別の戦略です。

社会レベルでは、「境界線を制度で作る」必要がある

社会において求められるのは、個々人の善意や忍耐ではありません。
必要なのは、制度としての境界線です。
具体的には、
・公共的対話の場における最低限のルール
・威圧・攻撃・恫喝を許さない明確な基準
・議論参加の条件設定
・感情的暴走が起きた際の第三者的調整
こうした枠組み
があって初めて、対話は公共的な営みとして成立します。

境界線とは、誰かを排除するためのものではありません。
対話を破壊する行為から、対話そのものを守るための安全装置です。

二つの戦略を混同しないことが重要である

問題なのは、
・個人レベルの問題に、社会的責任を理由に我慢を強いること
・社会的課題に対して、「分かり合えないなら離れればいい」と投げ出すこと
この両極端が混同されてしまうことです。

必要なのは、
個人の関係性では「距離を取る」
社会の場では「境界線を制度で作る」
という切り分けを、意識的に行う
ことです。

想定される批判へのQ&A

Q1.これは排除主義ではありませんか?
排除を目的とした議論ではありません。
対話が成立しない状態で対話を強行することが、かえって被害を拡大させる現実を指摘しています。
距離を取ることは、「切り捨て」ではなく、破壊的関係を固定化させないための判断です。

Q2.冷たく感じます。自己防衛の正当化では?
自己防衛を否定すること自体が問題です。
特に支援やケアの現場で、我慢や耐久だけを美徳にする構造は、支援の持続可能性を損ないます。

Q3.制度的境界線は表現の自由を脅かしませんか?
境界線は、多様性を守るためにこそ必要です。
ルールなき自由は、結果的に強者の自由だけを拡張します。

Q4.「分かり合えない」と判断するのは傲慢では?
人格を断定しているのではありません。
ある時点・ある関係性における状態評価を行っているにすぎません。

【注記】専門職・支援職の方へ

本記事で述べている「距離を取る」という選択は、
支援放棄や専門職倫理の否定を意味するものではありません。

むしろ、
・支援の限界を言語化すること
・関わり続けることと、支援することを区別すること
・支援者を孤立させない制度的境界線を整えること

の重要性を指摘しています。

個々の善意や献身に依存する構造は、支援者の燃え尽きを招きます。
制度的な枠組みは、支援の質を守るインフラです。

おわりに――きれいごとを超えるために

「距離を取ることは、相手への最大の尊重だ」という考え方は、理想論ではありません。
それは、現実を直視した末にたどり着く、苦く、しかし誠実な結論です。

同時に、社会は個人の成熟だけに依存してはいけません。
対話を守るために、制度として境界線を引く責任があります。

この二つを切り分けて考えること。
それこそが、対話を守り、人を守り、社会を疲弊させないための、現代的な知恵ではないでしょうか。

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