【注意書き(誤読・炎上防止のために)】
本記事は、外国人そのものや、特定の国籍・民族を否定することを目的としたものではありません。
また、「移民」や「外国人労働者」「留学生」を一括して排除すべきだと主張する内容でもありません。
本記事で問題提起しているのは、日本の制度趣旨と合致しない形で在留していると疑われるケースや、外国人受け入れ政策の運用上の歪みについてです。
高度な技術・技能・知識を持ち、日本社会のルールを守りながら真面目に働き、学んでいる外国人の方々までを否定する意図は一切ありません。
むしろ、本来は区別して論じるべき対象が混同されてしまっている現状を、冷静に見直す必要があるのではないか、という問題意識から書いています。
「移民」という言葉が、いつの間にか一人歩きしている
最近、SNSを見ていると、
「日本はもう移民国家だ」
「中長期で外国人を受け入れるのは危険だ」
といった強い言葉を、よく目にするようになりました。
こうした声の背景には、外国人労働者や留学生の増加に対する、不安や違和感があるのだと思います。
ただ、その不安が「移民」という言葉で雑に一括りにされていることには、注意が必要です。
そもそも「移民」とは何を指すのか
国際連合(UN)の説明では、
移住の理由や法的地位に関係なく、1年以上、居住国を変更して生活する人
は、広い意味で「国際移民」に含まれるとされています。
この定義に従えば、日本に中長期で在留する外国人も、概念上は「移民」です。
一方、移民国家と呼ばれるアメリカ合衆国の法制度では、
「移民」とは永住権を持つ人を指します。
日本政府は、長年このアメリカ型の考え方を採用し、
「日本は移民を受け入れていない。移民政策は取っていない」
という説明を続けてきました。※
※関連補足説明
世界の専門家の間の有力な見解(広い意味での「国際移民」)に照らせば、たとえば、若者が外国の大学等に留学するケースも、商社マンが海外駐在勤務が決まって外国に転勤するケースも、“移民” に該当することになります。
けれども、日本人の圧倒的大多数の人は、外国への留学や転勤を “移民” や “長期的移住” とは呼びません。
2025年の現実と、国民感覚のズレ
しかし、2025年現在の日本を見ると、この説明に違和感を覚える人が増えています。
永住許可制度によって、事実上「移民化」した在留外国人は増加を続けています。
その結果、日本はすでに移民を受け入れている国ではないかという認識が、国民の間にも広がってきました。
ここまでは、自然な反応だと思います。
問題は、その先です。
なぜ「外国人全体」への不信感が強まったのか
政府は近年、
「日本が外国人に選ばれる国になるために」
というスローガンのもと、外国人受け入れを拡大してきました。
しかし、その運用の中で、次のような印象を国民に与えてしまったのも事実です。
・「高度人材」と言われている割に、専門性が高いとは思えない外国人労働者が多い
・技能や技術の修得よりも、出稼ぎや将来的な移民化を目的にしているように見えるケースがある
・外国人留学生の中に、学力よりも就労目的が前面に出ている人が少なくない
こうした事例が積み重なった結果、
「本当に、きちんと選別して受け入れているのか?」
という疑念が生まれてしまいました。
一括りが生む、危うい空気
その結果、SNSなどでは、
「一年以上日本にいる外国人=移民=制限すべき存在」
という、かなり大雑把な認識が広がりつつあります。
これは、非常に危うい流れです。
問題のあるケースと、
真面目に働き、学び、日本社会を支えている外国人とが、
同じ一つのラベルで語られてしまっているからです。
本当に制限を検討すべきなのは誰なのか
受け入れ人数や在留期間の更新回数、
あるいは通算の日本滞在期間の上限といった制度の見直しは、
確かに議論の余地があります。
ただし、それを検討すべき対象は、すべての外国人ではありません。
・明らかに専門性が乏しい
・制度の趣旨と異なる目的で在留している
・日本社会との共生を前提にしていない
こうした問題が疑われるケース※についてこそ、制度の厳格化や見直しを検討すべきです。
※日本の出入国管理法令上の用語に則って2025年現在の「在留資格」別でいうと、少なくとも「技能実習」、「特定技能」、「留学」、「技術・人文知識・国際業務」、「経営・管理」が検証や見直しをすべきだと考えられます。
排除すべきでない人たちまで、巻き込まないために
一方で、
・高度な技術・技能・知識等を持つ外国人労働者
・研究や学問を目的に、真剣に学んでいる留学生
・日本のルールを守り、納税や就労に誠実に向き合っている人たち
これらの人々まで排除の対象にしてしまえば、日本社会そのものが立ち行かなくなります。
感情的な一括排除は、最終的に私たち自身の首を絞めることになりかねません。
「区別して考える」という、当たり前の話
「移民は危険だ」
「外国人は制限すべきだ」
こうした強い言葉は、注目を集めやすいかもしれません。
しかし、本当に必要なのは、
誰を、どの理由で、どの範囲で制限するのかを、具体的に区別して考えること
です。
雑な議論は、不安と分断を深めるだけです。
冷静な区別こそが、健全な議論の出発点になるはずです。
移民問題を語るときこそ、
「一括りにしない」
この当たり前の姿勢を、私たちは取り戻す必要があるのではないでしょうか。
