「データに基づく判断」は万能ではない――私たちは何を見落としているのか

近年、社会問題や政策議論、企業経営に至るまで、「データとエビデンスに基づく判断」の重要性が繰り返し強調されています。
感覚論や印象論ではなく、客観的なデータに基づいて議論し、意思決定を行う姿勢そのものは、間違いなく重要です。

しかしその一方で、こんな言葉もよく耳にします。
「それはデータが示している」
「数字が証明している」
「エビデンスがある以上、議論の余地はない」。

果たして本当にそうでしょうか。
「データに基づいている」という事実は、判断の正しさや妥当性を自動的に保証するものなのでしょうか。
むしろ、データを過信することで、現実の重要な側面を見誤ってしまう危険はないのでしょうか。

本稿ではまず、「データに基づく判断」そのものが抱える構造的限界を整理したうえで、
その具体例として、現在日本で大きな関心を集めている出入国管理政策・外国人受け入れ政策を取り上げて考えてみます。

「データに基づく判断」が抱える構造的限界

①観測可能性の限界――見えていないものは最初からデータにならない
私たちは、判断に必要な要素を常に網羅的に把握できているわけではありません。
そもそも「何が重要な判断材料なのか」そのものを認識できていなければ、その要素はデータ収集の対象にすらなりません。
これは、いわゆる未知の変数(unknown unknowns)の問題です。
存在に気づいていないものは、測定も分析もできないのです。

②データ化困難性――数値にしにくいが、重要な要素は多い
判断にとって重要でありながら、性質上データ化になじまない要素も数多く存在します。
例えば、
・価値観や文化的背景
・個人や集団の動機・心理
・信頼関係や恐怖感
・組織の士気
・政治的・社会的圧力
これらは、無理に数値化すると本質が失われたり、かえって誤解を招いたりすることがあります。
数値として扱いやすいものだけを重視すると、判断そのものが歪むという危険性があります。

③時間的劣化――正しかったデータがすぐに意味を失う
データは常に「過去のある時点を切り取ったもの」です。
社会状況、技術、国際環境などが急速に変化する現代においては、
ある時点では正確だったデータが、短期間で前提条件ごと変わってしまうことも珍しくありません。

「データは嘘をつかない。でも、すべては語らない」

データは「現実の写像」であって「現実そのもの」ではない。これは社会科学や意思決定論における基本的な考え方ですが、実務や世論の中では忘れられがちです。

データとは、
現実
→(観測・定義・測定・抽象化)
→ 数値や指標
という過程を経て得られた「写し」にすぎません。
この過程のどこかで、
・定義の恣意性
・測定誤差
・収集バイアス
・分析者の前提や価値観
が必ず入り込みます。
したがって、「データに基づいている」という言葉自体が、中立性や完全性を保証するわけではありません。

ジグソーパズルの比喩が示す、データ信仰の危うさ

不完全なデータに基づく判断の危うさは、次の比喩で表すことができます。
ジグソーパズルのピースが何割か欠けているにもかかわらず、
残っているピースだけで無理に組み立て、その姿を完成図だと思い込む。
これは、
・不完全なデータから
・過度に確定的な結論を導き
・それを「科学的」「合理的」と錯覚する
という、データ信仰の落とし穴を象徴しています。

具体例として、日本の出入国管理政策を見てみると――

こうしたデータの限界は、どの分野にも当てはまりますが、
日本の出入国管理政策・外国人受け入れ政策の議論では、特に顕著に表れています。

①人権との関係で把握が難しい情報が存在する
外国人の生活実態や背景に関する情報は、人権やプライバシーへの配慮から、詳細な収集が困難な場合があります。
これは当然尊重されるべき点ですが、その結果として、政策判断に使える材料が限定されるという現実もあります。

②不法滞在・不法就労は統計に現れにくい
不法入国や不法残留、不法就労は、本質的にアンダーグラウンドな存在です。
統計として把握できるのは、あくまで摘発されたケースのみであり、
実態の全体像を正確に反映しているとは限りません。

③在留資格と実態の乖離が、数字の解釈を難しくしている
日本の出入国管理行政では、在留資格の建前と実際の活動内容が一致していないと指摘されるケースが少なくありません。
「技能実習」「特定技能」において、
本来の趣旨とは異なる、実質的な出稼ぎ労働者が相当数混在しているとされること。
「技術・人文知識・国際業務」において、
その趣旨とは異なる一般的・単純な労働に従事していると見られる事例があること。
「留学」において、
実態としては就労を主目的としているケースが相当数含まれていると指摘されていること。
このような状況では、在留資格別人数などの統計データを、額面通りに受け取ることはできません。

日本の外国人政策こそ「データへの謙虚さ」が必要である――見えている数字、見えていない現実

以上を踏まえると、日本の外国人政策を検討する際には、次の姿勢が不可欠です。
・データは重要な判断材料の一部である
・しかし、それだけでは足りないかもしれないと常に自覚する
・分析の前提・欠落・不確実性を明示した上で用いる

これは、データを軽視する考えではありません。
むしろ、データを真に尊重するからこそ必要な、慎重で理性的な態度です。

おわりに――データを使うとは、謙虚であること

データは、多くの示唆を与えてくれます。
しかし同時に、データは現実の一部を切り取ったものであり、現実そのものではありません。
「データに基づく判断」を掲げるのであれば、
その前提条件や限界、不確実性にこそ、目を向ける必要があります。
データを過信しないこと。
それこそが、複雑な現実に向き合い、より良い政策判断を行うための第一歩ではないでしょうか。

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