はじめに
国家を超える影響力を持つ巨大資本や超富裕層の存在は、もはや珍しいものではありません。彼らの資産規模は、中小国家の年間予算を上回ることさえあります。
では、日本の税制は、こうした21世紀的な力の構造を前提として設計されているのでしょうか。
本稿では、税制という最も基本的な国家主権の装置から、この問題を考えます。
税は「財源」以上の意味を持つ
税というと、社会保障や公共事業の財源としての側面が注目されがちです。
しかし本来、税制はそれ以上の意味を持っています。
それは、
どのような経済活動を正当とし、どのような力の集中を抑制するか
という、国家の価値判断そのものです。
近代国家において、税制は主権の核心に位置しているのです。
グローバル資本と税制の「すれ違い」
ところがグローバル化の進展により、この前提が揺らいでいます。
巨大資本や超富裕層は、
・国境をまたいで資産を移動させ
・法人やファンドを多層的に組み合わせ
・税率や規制の低い国を選択する
ことが可能です。
一方、日本の税制は、基本的に国内で完結する経済活動を前提に設計されています。
この結果、負担は逃げにくい層に集中し、影響力の大きな主体ほど課税が及びにくいという逆転現象が生じています。
これは「嫉妬」や「再分配感情」の問題ではない
ここで誤解してはならないのは、この問題が
「金持ちへの反感」
「再分配を強めるべきだという感情論」
ではないという点です。
問題の核心は、
国家より強い影響力を持つ主体が、国家のルール形成や民主主義に影響を与えながら、十分な負担や責任を負っていないのではないか
という構造的な問いにあります。
税制の空洞化は、民主主義の空洞化につながる
税を負担する主体と、社会の方向性を左右する主体が乖離するとき、民主主義は弱体化します。
選挙で選ばれた政府よりも、
市場や巨大資本の判断が政策を左右するようになれば、
形式的には民主主義でも、実質はそうではありません。
税制の問題は、単なる財政論ではなく、
法の支配と民主主義の持続可能性に直結しています。
日本に求められる視点
日本に必要なのは、拙速な増税でも、単純な富裕層批判でもありません。
求められるのは、
・グローバルに活動する主体を前提とした課税の再設計
・透明性の高い国際連携
・国家主権と民主的統制を守るという明確な理念
です。
これは「国際協調」と矛盾するものではありません。
むしろ、協調を実質あるものにするための前提条件だと言えるでしょう。
次回予告
次回は、「規制」をテーマに、
巨大民間主体にどこまで公共的責任を求めるべきかを考えます。
「民間だから自由」という考え方は、
21世紀の現実において、どこまで通用するのでしょうか。
