はじめに(誤読回避のための注意書き)
本記事は、特定の企業や個人を非難・攻撃することを目的とするものではありません。 また、外国人労働者そのものを否定したり、日本人と外国人を対立させたりする意図もありません。
ここで扱うのは、あくまで「日本の雇用法制・労働政策の構造的な問題点」です。 実際の雇用現場が人手不足や厳しい経営環境に置かれていることも前提として理解したうえで、制度面・法制度面の論点を冷静に整理することを目的としています。
感情的な賛否ではなく、制度として何が未整備なのか、どこにリスクがあるのかを考える材料としてお読みください。
問題の所在──「外国人しか採用しない」という発言が投げかけるもの
ある企業関係者が「社員の新たな雇用は、今後はすべて外国人でいいと思っている」と語ったという報道がありました。この発言に対し、私は次のような素朴な疑問を抱きました。
意図的に「男性しか採用しない」ことが違法とされるのであれば、日本国内の職場で「外国人しか採用しない」という方針も、同様に法的に問題になるのではないか、という疑問です。
この疑問は感情論ではなく、日本の雇用法制の構造そのものに向けられた問いだと言えます。
なぜ性別はアウトで、国籍はグレーなのか
まず結論から言えば、日本の現行法制では、両者は同じ扱いを受けていません。
性別による採用差別は、男女雇用機会均等法によって明確に禁止されています。募集・採用段階で「男性のみ」「女性のみ」とする方針は、原則として違法です。
一方で、国籍については、採用段階そのものを包括的に禁止する法律が存在しません。 労働基準法は国籍による差別を禁じていますが、その対象は主に「採用後の労働条件」であり、「採用するか否か」そのものは直接規制していません。
このため、「外国人を低賃金で使う」ことは違法になり得ても、「外国人しか採らない」という採用方針自体は、直ちに違法とは言い切れない構造になっています。
なぜ日本では「採用段階の国籍差別(逆差別を含む)」が十分に規制されていないのか
ここで言う「国籍差別禁止が弱い」という表現は、一般に想起されがちな「外国人を差別してはならない」という意味だけを指しているわけではありません。
問題となっているのは、日本の法制度において、採用段階における国籍を理由とした排除──それが外国人に対するものであれ、日本人に対するものであれ──を包括的に禁止する仕組みが存在しない点です。
まず前提として、日本の労働法制は、採用後の労働条件については国籍差別を明確に禁じています。労働基準法は、賃金や労働時間その他の労働条件について、国籍を理由とする差別的取扱いを認めていません。この点について、日本の制度が無防備であるわけではありません。
しかし、その規制はあくまで「雇った後」の話です。「誰を雇うのか」という入口部分、すなわち採用段階については、性別や障害とは異なり、国籍を理由とする排除を原則禁止する明確な法規範が欠けています。
この構造のため、日本では「外国人を不当に排除する採用」も、「日本人を意図的に排除する採用」も、同じく法的にはグレーゾーンとして扱われてきました。一般に「国籍差別禁止」と言うと前者のみが想起されやすく、後者、いわゆる逆差別の問題は議論の俎上に載りにくいのが実情です。
では、なぜこのような片手落ちの状態が生まれたのでしょうか。
第一に、日本国憲法の平等原則は、主として国や自治体といった公権力を対象とするものであり、私企業の採用の自由を直接制約する規定としては解釈されてきませんでした。その結果、民間企業の採用判断については、極めて広い裁量が認められてきました。
第二に、日本は長らく「移民国家ではない」という自己認識のもとで制度を構築してきました。外国人労働者は定住を前提としない一時的な存在と位置づけられ、採用段階の平等性を厳密に担保する必要性が強く意識されてこなかったのです。
第三に、国際条約との関係です。日本は人種差別撤廃条約を批准していますが、その国内実施にあたって、私企業の採用差別を直接規制する包括的な立法は行われていません。その結果、「労働条件では平等、採用は自由」といういびつな構造が固定化されました。
まとめれば、日本で弱いのは単なる「国籍差別禁止」ではなく、採用段階において、日本人に対する逆差別を含む国籍差別を不合理なものとして是正する制度設計そのものだと言えるでしょう。
なぜこの種の発言はマスメディアでは大きな批判に発展しにくいのか
この問題が、SNS上では強い反発や炎上を招きやすい一方で、マスメディアでは大きな批判として扱われにくい理由も、制度と社会意識の双方にあります。
一つは、「外国人を雇う」という行為が、表面的には多様性や包摂を重視する姿勢に見えやすい点です。その結果、「排除」が内包されていても、問題性が見えにくくなります。
もう一つは、「日本人が排除される」という構図が、差別問題として言語化されにくい点です。マジョリティが不利になる事例は、構造問題として捉えられにくく、「自己責任」や「働き手不足」で処理されがちです。
さらに、人手不足や低賃金といった労働市場の歪みが、「仕方がない」という免罪符として機能してしまうことも見逃せません。
補足注:SNSとマスメディアの「温度差」について
本件のような発言は、SNS上では強い批判や炎上を招きやすい一方で、テレビ・新聞などのマスメディアでは大きな問題提起として継続的に扱われにくい傾向があります。
その背景には、次のような要因が考えられます。
第一に、マスメディアは企業活動や経済合理性を前提に報道を組み立てる傾向が強く、「人手不足への対応」「現場の工夫」といった文脈で理解しようとします。その結果、採用方針に内在する排除性が論点化されにくくなります。
第二に、国籍による採用の問題は、性別差別のように明確な違法性が整理されていないため、メディア側も強い言葉で批判しにくい領域にあります。「問題だと断定しにくい」こと自体が、扱いの小ささにつながっています。
第三に、外国人雇用は人権・多様性・経済政策など複数の論点が交錯するテーマであり、単純な善悪構図にしにくいという事情もあります。このため、炎上リスクを避ける形で、踏み込んだ論評が控えられる傾向があります。
SNSでは、個々の発言が文脈を切り取られて拡散されやすく、当事者意識や不公平感が直接的に表出します。
一方でマスメディアは、構造問題として整理する前に「現場の声」として消費してしまうことがあります。
この温度差そのものが、日本社会における雇用と差別の議論が、いまだ十分に言語化・制度化されていないことの表れだと言えるでしょう。
本来問われるべき論点
本来問われるべきなのは、「外国人で回るかどうか」ではありません。
なぜ日本人が定着しない職場になっているのか。
なぜ賃金や労働条件の改善ではなく、人材の入れ替えで対応しようとするのか。
これらの問いを避けたまま外国人依存だけを進めれば、雇用の質そのものが劣化していく危険があります。
今後、必要とされる制度的整理
今後の課題として、少なくとも次の点は検討されるべきでしょう。
第一に、国籍や出身による「不合理な採用差別」を、採用段階から明示的に問題とする法的枠組みです。一切の区別を禁じるのではなく、合理性を企業側が説明できるかどうかを問う仕組みが必要です。
第二に、採用方針や雇用構成の透明化です。罰則よりもまず、説明責任を果たす環境を整えることが重要です。
第三に、外国人労働者の人権保護と、日本国内の雇用機会の確保を対立させない制度設計です。低賃金依存モデルを是正しなければ、どちらにとっても持続可能な雇用にはなりません。
おわりに
「性別でダメなら、国籍でもおかしいのではないか」という疑問は、日本の雇用法制が長年先送りしてきた問題の核心を突いています。
これは外国人か日本人か、という二項対立の話ではありません。
誰かを排除することで成り立つ雇用モデルを、どこまで許容するのかという、社会全体の制度設計の問題です。
感情的な賛否を超えて、冷静な制度論として議論されることが求められていると感じます。
