はじめに――このシリーズで見えてきたもの
本シリーズでは、第1回から第4回までを通じて、
21世紀の民主主義と法の支配が直面している現実を、段階的に検討してきました。
第1回では、巨大資本と超富裕層に対し、日本の税制は十分に向き合えているのか
第2回では、プラットフォーム、巨大金融、国際NGO、ESG圧力といった「事実上の統治力」をどう法的に扱うか
第3回では、データとアルゴリズムによって世論や認識が形成される「情報主権」の問題
第4回では、立法・行政・司法が、こうした新しい権力構造にどう再調整されるべきか
これらを通して浮かび上がってきたのは、
近代に確立された制度が、21世紀の現実と少しずつ噛み合わなくなっているという事実です。
問題は「グローバリズムか否か」ではない――しかし日本にとって、「行き過ぎ」は看過できない
本シリーズは、グローバリズムそのものを否定する議論ではありません。
国境を越える人・モノ・資本・情報の移動や、国際協調の枠組みが、
経済発展や国際的安定に一定の役割を果たしてきたことは、否定できない事実です。
しかし同時に、私たちは一つの重大な現実に向き合う必要があります。
それは、国境を越える力が過度に強まった結果、民主的統制が機能しにくくなっているという問題です。
行き過ぎたグローバリズムの下では、
国家の法律や議会での議論よりも、
グローバル市場の反応、国際的評価、非選挙主体の判断が優先されがちになります。
その結果、
「誰が決めているのか」
「誰が責任を負うのか」
が見えにくくなっていきます。
これは偶発的な問題ではありません。
行き過ぎたグローバリズムは、その構造上、
意思決定を国民から遠ざけ、
統制や説明責任の所在を曖昧にしやすい性質を持っています。
この点で、日本は特に注意を要する立場にあります。
日本は、法の支配や国際協調を重んじ、
対立よりも調整を選んできた国です。
その姿勢は国際社会において高く評価されてきました。
しかし一方で、
「国際的な潮流だから」
「世界の基準だから」
という理由で、十分な国内議論を経ないまま制度や政策が導入されるならば、
それは民主主義の自己放棄に近い状態とも言えます。
日本にとって問題なのは、グローバリズムそのものではありません。
民主的統制を弱めるほどに肥大化したグローバルな力に対し、どこまで主体的に歯止めをかけられるか
そこにこそ、現実的な課題があります。
行き過ぎたグローバリズムを是正することは、
国際社会から距離を置くことでも、内向きになることでもありません。
むしろそれは、
日本が民主主義国家として、自らの制度と主権を責任をもって維持するために不可欠な姿勢です。
「国家権力からの自由」だけでは足りない時代
近代の法思想は、
国家権力から個人の自由や権利を守ることを中心に発展してきました。
それ自体は、今なお重要な価値です。
しかし21世紀の現実では、
個人の選択、社会の方向性、国家の政策判断そのものが、
巨大な非国家主体によって左右される場面が増えています。
法的には「民間」であっても、
事実上、統治に近い影響力を持つ存在に対して、
何の統制も及ばない状態が続けば、
民主主義は形式だけのものになってしまいます。
守るべきなのは、
国家の権威そのものではありません。
民主的に決定し、責任を負うという仕組みそのものです。
21世紀の「法の支配」とは何か
21世紀の法の支配とは、
単に法律が整備されている状態を指すものではありません。
・誰が社会に強い影響を与えているのかが可視化されていること
・影響力に応じた説明責任が求められていること
・弱い個人や小さな国家が、構造的に不利にならないこと
これらが実質的に担保されてこそ、
法の支配は現実の力を持ちます。
その意味で、私たちは今、
「第二の立憲主義」あるいは「拡張された法の支配」を構想すべき段階に来ていると言えるでしょう。
日本が果たし得る役割
日本は、
極端な市場万能主義にも、
露骨な国家統制にも、
比較的距離を取ってきた国です。
だからこそ、
自由と統制、
国家と市場、
主権と国際協調の間に、
現実的で持続可能なバランスモデルを示す可能性があります。
それは声高な主張ではなく、
制度を一つひとつ現実に合わせて更新していく、
地道な作業です。
おわりに――問い続けることが民主主義
法の支配は、完成品ではありません。
民主主義も、常に調整を要する仕組みです。
・問い続けること、
・現実を直視すること、
・必要であれば制度を見直すこと。
それ自体が、民主主義の営みです。
21世紀の日本が、
行き過ぎたグローバリズムと冷静に距離を取りながら、
民主主義と法の支配を実質あるものとして守り抜けるのか。
本シリーズは、その問いを社会に投げかけるための試みでした。
