はじめに――論点を誤らせないために
本稿の目的は、特定の宗教や信仰を否定・排斥することではありません。
民主制国家としての日本が、宗教を標榜しつつ政治運動として振る舞い、既存の国家法秩序と緊張関係を持ちうる集団に対し、制度としてどのように向き合うべきかを冷静に考えることにあります。
重要なのは、「宗教の自由」と「政治運動としての評価」を混同しないことです。
この前提を共有しなければ、議論は感情論や差別論争にすり替えられ、現実的な政策判断が不可能になります。
国際社会に現実に存在する「政治的宗教運動」
国際社会を見渡せば、宗教を掲げながらも、その実態は民主制や世俗法秩序と緊張関係に立つ政治運動である集団が、現実に存在してきました。
それらは一様ではありませんが、代表的には次のような特徴が指摘されています。
・武装闘争やテロ行為を伴うもの
・表向きは合法活動を装いながら、
・神法(宗教法)を国家法に優越させる思想を持つ
・民主的価値や法の下の平等を否定する
・長期的に体制転換を志向する
ここで押さえるべき点は、暴力の有無だけでは、安全保障や社会秩序への影響を十分に評価できないという現実です。暴力に至らなくとも、制度や価値体系への挑戦それ自体が、長期的に社会の統合を損なう場合があります。
各国が行ってきた「制度的対応」の現実
ヨーロッパ諸国や一部の民主国家では、こうした政治的宗教運動に対し、
・入国審査の厳格化
・在留資格更新時の審査
・団体活動や資金源の把握
・外国勢力との関係性の検証
といった制度的・予防的対応が講じられてきました。
ここで注目すべきなのは、
「宗教だから規制できない」
という考え方が、必ずしも国際標準ではないという事実です。
各国は、
・信仰そのもの
・私的な礼拝や宗教的慣行
と、
・国家体制に挑戦する政治運動
・公共秩序や安全保障に影響を及ぼす組織的活動
を制度上、明確に切り分けて評価してきました。
「信仰の自由」と「政治運動」を切り分けるという視点
本来、「信仰の自由」は、
・内心の自由
・平和的な礼拝や宗教生活
を守るための基本的人権です。
しかしそれは、
・国家法秩序を否定する政治活動
・民主制そのものを否認する運動
に対して、無条件の免罪符を与えるものではありません。
問題の核心は、宗教の内容そのものではなく、政治性と制度への影響にあります。
この切り分けを怠れば、正当な安全保障上の懸念が「差別」として封殺され、行政は常に後手に回ることになります。
欧米で何が起き、日本ではなぜ起きていないのか――比較の視点
欧米諸国では、過去数十年にわたり、
・大規模かつ急速な移民流入
・植民地支配の歴史を背景とする複雑な社会関係
・多文化主義政策の下での価値観の並存
が進行しました。
その結果、
・宗教的教義を理由に世俗法との衝突が顕在化する事例
・宗教共同体内部での規範が、国家法よりも優先されるかのような摩擦
・地域的・心理的に隔離された集住エリアの形成
が、現実の政策課題として表面化しました。
一方、日本では、少なくともオールドメディアや政府の公式発表といった主要な公開情報の範囲においては、
・宗教的教義を理由に日本の法令無視を公然と正当化する組織的・全国的な集団行動
・独自の宗教法を社会全体に適用すべきだと主張する政治運動が、明確な社会問題として顕在化している状況
・排他的かつ対抗的な宗教原理主義集団の大規模・恒常的な集住が、治安や行政運営に深刻な影響を与えている事例
が、欧米諸国で見られる水準で顕在化しているとは、断定しがたいのが実情です。
ただしこれは、「兆候が存在しない」「懸念は根拠を欠く」という意味ではありません。
オールドメディアでは大きく取り上げられていないものの、SNSや地域レベルの断片的情報、当事者の発信などを総合すれば、
・宗教的教義を根拠として日本の法令や社会規範との緊張関係を正当化する言動
・特定地域における、外部社会との摩擦を内包した原理主義的傾向を持つ集住の兆し
が散発的に観察されていることも否定できません。
重要なのは、日本では現時点ではそれらが「全国規模の制度問題」や「明白な治安・統治危機」には至っていない一方で、 将来において制度的対応の遅れ次第では、欧米と同様の課題へと転化し得る “初期段階” にある可能性を、冷静に認識しておく必要がある、という点です。
その背景には、
・移民受け入れ規模が相対的に限定的であったこと
・在留資格制度による統制の存在
・単一法体系・単一公教育を前提とする社会構造
などがあると考えられます。
しかし、これらは将来にわたって自動的に維持される保証ではありません。
だからこそ、日本では「既に起きている問題」と「将来論として備えるべき課題」を意識的に区別した議論が必要なのです。
想定される反論と、その先回り回答(Q&A)
Q1.これは特定宗教への差別や偏見を助長しないか?
A.本稿が対象としているのは宗教一般や信仰者ではなく、民主制や法秩序と緊張関係を持つ政治運動としての側面です。信仰の自由や私的な宗教生活を尊重する立場と、政治的影響を制度的に評価する立場は、論理的に両立します。
Q2.日本では問題が起きていないのに、なぜ議論する必要があるのか?
A.安全保障や社会統合の分野では、「問題が顕在化してから対応する」こと自体がリスクとなります。欧米諸国の経験は、制度設計の遅れが後の社会的分断を招きうることを示しています。未然に線引きを明確にすることこそ、冷静で穏健な対応です。
Q3.個人の思想・信条を国家が評価するのは危険ではないか?
A.評価の対象は内心そのものではありません。あくまで、
・組織的活動
・資金・外国勢力との関係
・公共秩序や制度への影響
といった外形的・客観的要素です。これは多くの民主国家が採用してきた制度的アプローチです。
なぜ「今」、将来を見据えた制度議論が必要なのか
問題が顕在化してから対応する姿勢は、
・小さな摩擦の蓄積
・自治体レベルでの対応負担の増大
・国民の不信感や社会的分断
を招きかねません。これらは多くの場合、制度的な空白の放置から生じます。
政治・行政当局に求められているのは、
・排除ではなく、線引きを明確にする制度的管理
・恐怖煽動ではなく、説明可能な評価基準
・事後対応ではなく、将来を見据えた予防的措置
です。
おわりに――沈黙は中立ではない
「宗教の自由」を理由に、政治的宗教運動という論点から目を逸らすことは、自由を守る行為ではなく、結果として社会全体を無防備にする側面を持ちます。
信仰を尊重することと、国家として法秩序と民主制を守ることは、本来、両立しなければなりません。
そのためにこそ、
宗教ではなく、政治運動として評価する
という視点を、日本の政治・行政が正面から引き受ける必要があります。
遅滞は許されません。これは現在世代の政策判断であると同時に、将来世代に対する制度設計の責任でもあるのです。
