「怖い話」が拡散するとき、私たちは何を見落としているのか――イスラム教をめぐる情報との向き合い方

最近、日本のSNSで「イスラム教では大人の男性が女児と性交しても合法だ」「だからイスラム教は危険だ」といった言説を見かけることがあります。ときには、外国人犯罪の報道と結びつけられ、あたかも「宗教そのものが原因」であるかのように語られることもあります。
けれども、少し立ち止まって調べてみると、この話の輪郭は、思っているほど単純ではありません。

「教典に書いてある」という言い切りは、本当か

まず確認できる事実として、イスラム教の聖典であるコーランに「幼い女児との性交を合法とする教義」は存在しません。
これは、日本語で読める複数の宗教学・イスラム研究の解説書や、大学の研究者による入門的な論考でも一貫して確認されている点です。
たとえば、
 井筒俊彦『イスラーム文化』(岩波書店)
 中田考・大塚和夫ほかによるイスラム法・イスラム史の解説
 日本イスラム協会や大学の宗教学講座が公開しているQ&A資料
などでは、イスラム法が「何を根拠にしているのか」「どこまでが教義で、どこからが歴史的慣習や法解釈なのか」が丁寧に区別されています。
少なくとも、「コーランにそう書いてある」という断言は、事実として成り立ちません。

「宗教」と「その名の下で行われた行為」は同じではない

では、なぜこうした話が出てくるのでしょうか。
背景には、宗教そのものと、宗教を名乗る人間が行った行為、さらにそれを正当化しようとする一部の解釈が、混同されていることがあります。
どの宗教にも、長い歴史の中で、
・その時代・地域の慣習が宗教と結びついた例
・後世の人間が、都合のよい解釈を持ち出した例
・主流から外れた極端な思想や指導者
が存在してきました。
これはイスラム教に限らず、キリスト教でも仏教でも、あるいは日本の宗教文化でも同じです。「宗教の名が出てきた瞬間に、個別の事件がすべて教義に直結する」と考えるのは、実はかなり乱暴な見方なのです。

犯罪報道をどう読むか、という問題

もう一つ重要なのは、犯罪報道との向き合い方です。
日本国内で起きた犯罪について、犯人がイスラム教徒であった、あるいは外国人であった、という情報が出ることがあります。
しかし、それだけで「宗教が原因だ」「文化が危険だ」と結論づけるなら、私たちは同じ論理で、あらゆる犯罪を説明できてしまいます。
日本人が犯罪を起こした場合に、
「日本文化が危険だ」「仏教が問題だ」と言われたら、違和感を覚える人は多いはずです。
その違和感こそが、判断のヒントになります。

「怖さ」を煽る情報の共通点

SNSで拡散される「危険な宗教」論には、いくつかの共通点があります。
・出典があいまい、または極端に偏っている
・「例外」や「一部の解釈」が、全体の話として語られる
・感情を刺激する言葉(子ども、性、死)が強調される
こうした条件がそろうと、人は事実確認よりも感情で反応しやすくなります。
これは人間として自然な反応ですが、だからこそ注意が必要です。

知っておきたい、もう一つの現実

現代のイスラム世界でも、多くの国で結婚年齢は法律で定められ、児童婚や児童への性的加害は社会問題として批判されています。
イスラム教徒の学者や市民団体自身が、それに反対する立場を取っている例も少なくありません。
この事実を知るだけでも、「イスラム教=危険」という一括りが、現実をかなり取り逃がしていることが見えてきます。

おわりに――「考える余地」を残すということ

宗教の話題は、どうしても強い言葉になりがちです。
ですが、強い言葉ほど、立ち止まって確かめる価値があります。
「それは、教典に本当に書いてあるのか」
「それは、全体の話なのか、それとも一部なのか」
「もし対象が別の集団だったら、同じ言い方をするだろうか」
そうした問いを一つ挟むだけで、情報に振り回されることは、ずいぶん少なくなります。

怖い話が拡散するときほど、静かな確認が、いちばん確かな防波堤になるのかもしれません。

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