作用と反作用のあいだで――いま日本社会に必要な「中庸」

物理学には、「作用があれば、必ず反作用が生じる」という基本法則があります。
近ごろの日本社会を見ていると、この言葉がふと頭をよぎることがあります。

長らく続いてきた、行き過ぎたグローバリズムや行き過ぎた新自由主義。
それらの延長線上で進められてきた移民政策・外国人政策は、ときに理念先行となり、国民生活との調整が不十分なまま拡大してきました。
その是非について冷静に議論しようとすると、「差別だ」「排外主義だ」と一括りにされ、実質的な制度論が封じられてきた側面も否定できません。

そうした中で、世論や政治がようやく是正の方向へ動き始めていること自体は、健全な変化だと考えています。
外国人労働者の受け入れ、社会保障、地域コミュニティとの関係、治安や教育への影響といった論点を、タブー視せずに検討しようとする姿勢は、本来あるべき民主主義の姿でもあります。

しかし同時に、別の兆しも見え始めています。
移民政策や外国人政策への批判が、制度や運用の問題を超えて、感情的な排除や単純化された敵視へと傾きかねない空気もまた、目につくようになってきました。

この現象を、ただ「危険だから排除すべきだ」と断じるだけでは、問題の本質は見えてきません。
なぜならそれは、これまでの政策運営や言論空間における「作用」に対する反作用として、ある意味では起こるべくして起きている側面もあるからです。
国民生活が軽視されているのではないかという不安。
外国人政策について合理的な疑問を呈するだけで、道徳的非難を浴びてきたという実感。
そうした不満や鬱積が、強い反発として噴き出すこと自体は、人間社会として理解できる部分もあります。

とはいえ、ここで忘れてはならないのは、誤った作用に対して、誤った反作用まで正当化されるわけではないという点です。
行き過ぎたグローバリズムや不透明な移民政策が問題だったからといって、排外主義的な言説や集団的な感情の暴走が正解になることはありません。
いま社会は、ようやく「修正」の段階に入りつつあります。
だからこそ、反作用もまた、できるだけ早く、穏やかに収束していく必要があります。

そのために何より重要なのは、「冷静さ」だと思います。
ここで言う冷静さとは、左右のどちらの中間に立つかという意味での中道ではありません。
政治的信条やイデオロギーの違いにかかわらず、感情と事実、理念と現実を切り分け、制度として何が妥当なのかを粘り強く考え続ける姿勢――その意味での中庸です。

移民政策や外国人政策は、賛成か反対かで割り切れる単純な問題ではありません。
だからこそ、極端な美化も極端な拒絶も避け、社会全体の持続性という観点から検討されるべきなのだと思います。
作用と反作用の振れ幅を、これ以上大きくしないために。
声の大きさではなく、思考の深さによって。
断罪ではなく、熟慮によって。

いま私たちに求められているのは、その静かな態度なのではないでしょうか。

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