はじめに
新聞やテレビの報道を見ていて、「なぜ日本のマスコミは、これほどまでに政府や国家に批判的なのだろう」「人権や多様性という言葉が、なぜか議論の打ち切りに使われているように感じるのはなぜだろう」と、漠然とした違和感を覚えたことはないでしょうか。
こうした感覚は、特定の政治思想をもつ人だけのものではありません。むしろ、イデオロギーとは距離を置いてきた多くの一般読者が、長年の報道や言論の積み重ねのなかで、少しずつ抱くようになった素朴な疑問だと言えます。
本稿では、1950年代後半から1970年代初頭にかけての学生運動の時代背景と、その世代がマスコミ業界へ流入していった歴史的経緯に注目しながら、戦後日本に特有の「マスコミ的リベラリズム」がどのように形づくられてきたのかを考察します。
結論を先取りすれば、それは西欧近代に根差したリベラリズムというよりも、左翼革命思想の挫折後に生まれた「自己正当化としてのポスト左翼思想」、すなわち擬態的リベラリズム※と呼ぶべき性格をもっているように思われます。
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2025年12月6日付け『メディアの役割と「擬態的リベラル」の問題――日本の報道空間で何が起きているのか』
安保闘争・全共闘※期という思想的背景
1950年代後半から1970年代初頭にかけて、日本は米ソ冷戦構造の最前線に置かれていました。日米安全保障条約をめぐる対立は、単なる外交問題にとどまらず、大学を中心とした大規模な学生運動へと発展しました。
当時、旧帝国大学や有名私立大学では、マルクス主義、反米主義、反体制思想が強い影響力を持ち、政治参加こそが「知識人の責務」であるという空気が広く共有されていました。ただし、その浸透度や急進性には、大学や学部、時期ごとの差があった点には注意が必要です。
それでもなお、この時代の学生運動が、日本の知的エリート層の価値観形成に大きな影響を与えたことは否定できません。
※ここでいう「全共闘(ぜんきょうとう)」とは、1960年代後半から70年代初頭にかけて日本の大学を中心に広がった学生運動の総称である。
正式名称は「全学共闘会議」。従来の学生自治会や政党系列から距離を取り、「既存の権威・制度・価値観そのものへの全面的否定」を掲げた点に特徴があった。
当時の全共闘運動は、ベトナム戦争、日米安全保障条約体制、高度経済成長による管理社会化などへの反発を背景に、「体制に組み込まれること自体が悪である」という強い思想的傾向を持っていた。
そのため、国家・企業・大学・警察といった制度的存在のみならず、妥協や漸進的改革を唱える立場すら「権力への迎合」として批判する姿勢を示した。
この思想は運動としては終息したが、「既存制度への根源的な不信」「対話より糾弾を優先する思考様式」「敵と味方を二分する道徳的世界観」といった形で、その後の日本社会の言論空間にも長く影を落としている。
就職構造が生んだマスコミへの人材流入
問題は、学生運動に関わった若者たちが、大学卒業後に直面した進路の現実です。
当時の日本では、官僚機構において身辺調査や思想的チェックが行われており、また大企業では、協調性や組織順応性、政治的な無色性が重視されていました。
そのため、学生運動の経歴をもつ人材は、官庁や一流企業への就職が難しくなる傾向にありました。
一方で、新聞社、出版社、雑誌編集部、放送局の報道・制作部門は、給与水準が相対的に低く、労働環境も不安定であった反面、労働組合が強く、思想的自由度が比較的高い職場でした。
その結果、政治意識が高く、既存秩序に違和感を抱いた学生運動経験者が、マスコミ・出版分野に相対的に多く流入しました。数量的な正確さには限界があるものの、当時の雇用構造がこうした傾向を強めたことは、関係者の回顧や研究でも指摘されています。
冷戦終結と思想の再定義
やがて冷戦が終結し、1991年12月ソ連は崩壊し、中国社会主義の現実や共産主義国家の失敗も広く認識されるようになりました。これにより、かつて学生運動を支えていた左翼革命思想は、歴史的正統性を大きく失います。
しかし、「かつての自分たちは根本的に誤っていた」と公然と認めることは、個人の人生や職業的正当性を否定しかねませんでした。
そこで多くの場合に起きたのは、思想的自己否定を伴う全面的な転換ではなく、言説の再定義、すなわち部分的な衣替えでした。
具体的には、革命思想は「普遍的人権」へ、階級闘争は「多様性」や「少数者保護」へ、反米主義は「反ナショナリズム」や「国家権力への警戒」へと読み替えられていきます。
重要なのは、「自分たちは常に正義の側にいる」という自己認識の構図が、この過程でもほとんど維持された点です。
なぜそれはリベラリズムに見えるのか
こうして形成された新しい言説は、表面的には欧米型リベラリズムとよく似ています。人権、平等、弱者保護、多様性といった理念は、現代の民主社会に不可欠な価値でもあります。
ただし、欧米におけるリベラリズム自体も一枚岩ではなく、日本との差異を過度に単純化すべきではない点には注意が必要です。
それでもなお、日本のマスコミ的リベラリズムには、自由と責任の緊張関係、異なる価値観を制度的に調停する発想、国家や共同体をどのように位置づけるかという理論的整理が弱いという特徴が見られます。
その結果、議論は理念の検証よりも道徳化へと流れやすくなり、「人権」や「多様性」が反論を封じる免罪符として機能する場面も少なくありません。これが、本稿でいう擬態的リベラリズムの姿です。
構造要因としてのマスコミ
こうした傾向を、個々の記者や編集者の思想遍歴だけで説明することはできません。
記者クラブ制度、労組文化、「権力監視=善」と単純化された職業倫理など、マスコミ業界の構造そのものが、特定の言説を増幅させてきた側面も大きいからです。
しかし同時に、その構造を担い、再生産してきた中心に、学生運動世代の価値観があったことも否定できません。
おわりに――ポスト左翼思想としての現在地
戦後日本のマスコミ的リベラリズムは、左翼革命思想が挫折した後、その歴史的失敗を正面から総括することなく、「普遍的人権」という語彙へと自己正当化を行った、日本固有のポスト左翼思想であると考えられます。
それは決して完全な虚構ではありませんし、人権や少数者保護といった価値そのものを否定する必要もありません。
しかし、それらが検証や反論を拒む道徳的免罪符として用いられるとき、言論空間は著しく貧困化します。
本来、リベラリズムとは異なる価値観や現実との緊張関係を引き受けながら、制度やルールを通じて社会を調整していく思想のはずです。
それにもかかわらず、日本のマスコミ的言説では、「正義」に立つ者と「疑わしい者」を分ける単純な構図が繰り返されてきました。
いま必要なのは、保守かリベラルかという対立軸ではありません。
戦後日本のマスコミが形成してきたこの擬態的リベラリズムそのものを、歴史的産物として相対化し、検証の対象に戻すことです。
その作業を避け続ける限り、日本社会の公共的議論は、成熟することも、深まることもないでしょう。
※続編の予告
本稿を読み終えた方の中には、次のような疑問が浮かんだかもしれません。
1970年安保闘争や全共闘運動の当事者たちは、すでに業界の第一線を退いているはずです。それにもかかわらず、なぜ日本のマスコミでは、いまなお同じような言説や “仕事の流儀” が繰り返されているのでしょうか。
続編では、「人」は去っても「型」が残る理由、すなわち思想ではなく制度・評価軸・職業倫理として再生産され続けてきた構造に焦点を当てます。
なぜ世代交代が起きても、言論の空気は変わりにくいのか。
その背景を、マスコミ内部の仕組みから掘り下げていく予定です。

