選挙はマーケティングなのか――参政党現象が突きつける日本民主主義の課題

はじめに

近年、日本の政治をめぐる議論のなかで、「参政党」という存在をどう捉えるべきか、戸惑いを感じている人は少なくないでしょう。ネット上では賛否が鋭く対立し、強い言葉が飛び交っていますが、感情的な評価だけでこの現象を理解したつもりになるのは、やはり危ういと感じます。

本稿で扱うのは、「参政党は正しいのか、間違っているのか」という是非論ではありません。そうではなく、なぜこの政党が一定の支持を集めているのか、その構造や仕組みを手がかりに、日本社会と民主主義の現在地を考えることを目的としています。

とりわけ、これから先の日本社会と長く向き合っていく若年層・中年層にとって、この問題は決して他人事ではありません。忙しさのなかで政治と距離を取らざるを得ない現役世代だからこそ、最低限押さえておくべき視点があるはずです。

参政党現象は、特定の政党だけの問題ではありません。SNS時代の政治そのものが抱える傾向を、最も分かりやすく体現している事例だと私は考えています。その前提に立ったうえで、順に考えていきたいと思います。

なぜ「中身批判」だけでは足りないのか

参政党への批判でよく見られるのは、「科学的におかしい」「主張が極端だ」「言っていることがコロコロ変わる」といった指摘です。確かに、これらはいずれも重要な論点です。
しかし、それだけを繰り返しても、参政党の影響力が目に見えて弱まっているようには見えません。なぜでしょうか。
理由の一つは、参政党がそもそも「一貫した政策」や「論理の整合性」を、最優先に置いていない可能性が高いからです。
どの層に、どの言葉が刺さるのか。
その一点に強く意識を向けていると考えると、多くの不可解な言動が説明できます。

「矛盾している」「昨日と言っていることが違う」と感じたとき、そこで思考を止めてしまうのではなく、「なぜ、今この言葉が選ばれているのか」と一段引いて見る視点が必要なのだと思います。

選挙を「マーケティング」として見る政党

参政党を理解するうえで欠かせない視点が、「選挙をマーケティングとして捉えている」という点です。
マーケティングとは、対象となる人々を細分化し、それぞれに最適化されたメッセージを届ける行為です。参政党は、この考え方をかなりストレートに政治の場へ持ち込んでいます。
その結果、政策の一貫性や長期的な実現可能性よりも、「今、この不安や不満にどう響くか」が優先されます。論理的に正しいかどうかよりも、感情に届くかどうかが重視されるのです。

これは決して参政党だけの問題ではありません。SNS時代の政治そのものが、同じ方向に引きずられています。ただ、その傾向を最も分かりやすく体現している存在が、参政党だと言えるでしょう。

「政治に関わっている気分」を提供する仕組み

参政党の支持構造を語るうえで見逃せないのが、「政治に参加している感覚」を強く与える仕組みです。
多くの人にとって、政治は正直なところ面倒です。忙しい仕事や家庭、日々の生活のなかで、政策を読み込み、比較し、考え続けるのは簡単ではありません。
その点、会費を払う、集会に参加する、同じ問題意識を持つ仲間とつながる――こうした行為は、「自分も政治の当事者だ」という実感を、比較的容易に与えてくれます。

問題は、その実感が、政策理解や熟慮と必ずしも結びついていない場合があることです。
「参加している」という感覚そのものが目的化してしまうと、民主主義は徐々に形骸化していきます。

なぜ「笑って済ませる」ことが危険なのか

参政党を「泡沫」「ネタ政党」として軽視する声もあります。
しかし、その態度はあまり建設的とは言えません。
なぜなら、参政党が支持を広げているという事実は、日本社会のなかに、既存の政治が十分に応答できていない不安や不満、疎外感が存在することを示しているからです。

特定の政党を嘲笑しても、同じ構造を持つ別の動きは、形を変えて必ず現れます。
問題は人物や政党名ではなく、その背後にある社会的条件です。

若年層・中年層にとっての民主主義の課題

これから先、長い時間この社会と付き合っていく若年層・中年層にとって、民主主義の課題は決して他人事ではありません。
とはいえ、多くの現役世代は、日々の仕事や家庭、さまざまな責任に追われています。政治について「自分で一から考え直す」余裕が十分にない人も少なくないでしょう。白紙の状態から思考を組み立てること自体に、心理的なハードルを感じる人がいるのも自然なことだと思います。

だからこそ重要なのは、完璧に考え抜くことではなく、最低限の「考え方の軸」を持つことです。
次のような問いを、自分の中に置いておくだけでも、政治との距離感は大きく変わります。
・この主張は、誰のどんな不安や不満に向けられているのか
・なぜ今、この言い方が選ばれているのか
・感情が強く刺激されているとき、それは事実とどう切り分けるべきか
・短期的なスッキリ感と、長期的な社会の安定は両立しているか

これらは、答えを即座に出すための問いではありません。
「あ、いま自分はどこに引っ張られているのだろう」と立ち止まるための目印のようなものです。

思考を放棄しないための最低限のヒント

民主主義は、本来とても手間のかかる仕組みです。
しかし現実には、その手間をすべての人が常に引き受けることはできません。

だからこそ、思考を完全に放棄しないための、現実的な工夫が必要だと思います。
例えば、次の三点だけを意識するだけでも十分です。
第一に「分かりやすさ」は武器である、という自覚を持つことです。分かりやすい言葉や単純な構図は、理解を助ける一方で、思考を止めさせる力も持っています。分かりやすさに安心したときほど、一歩引く必要があります。
第二に「自分が選ばれている」という感覚に注意を払うことです。
参加している、認められている、仲間だと思われている――そうした感覚は心地よいものですが、政治的メッセージは、しばしばその感情と結びついて届けられます。
第三に、「この仕組みは自分以外の人にも同じように適用されるか」を考えることです。自分にとって都合の良い話が、社会全体にとっても妥当なのか。その視点を失わないことが重要です。

今日これだけ覚えて帰ってほしい三点

ここまで読んで、「なるほどとは思うが、日常でどう使えばいいのか分からない」と感じた方もいるかもしれません。
そこで最後に、細かい理屈はいったん置いて、最低限これだけは意識してほしい三点を挙げておきます。

一つ目は「強い言葉に出会ったときほど、少し距離を取る」ということです。
怒りや不安、爽快感を強く刺激してくる言葉は、それ自体が間違っているとは限りませんが、思考をショートカットさせる力を持っています。「今、自分は感情で動かされていないか」と一瞬立ち止まるだけで十分です。
二つ目は「分かりやすさ=正しさ、ではない」と意識することです。
単純で明快な説明は魅力的ですが、社会問題の多くは本来もっと複雑です。あまりに分かりやすい説明に出会ったときほど、「何が省略されているのだろう」と考えてみてください。
三つ目は「参加している気分」と「考えて選んでいること」を混同しないことです。
仲間意識や一体感は大切ですが、それだけで政治判断が完結してしまうと、後悔する場面が必ず訪れます。

Xで流れてきた投稿をどう読むか――ミニ実例

例えば、Xのタイムラインで次のような投稿を見かけたとします。
「既存政党は全部ダメだ。この国を本気で変えようとしているのは◯◯党だけだ。反対する人は、既得権益側の人間だ。」

この投稿を見たとき、「賛成か反対か」で即座に反応する必要はありません。
先ほどの視点を当てはめてみます。
まず「誰の感情に向けた言葉か」を考えます。不満や怒り、無力感を抱えている人に強く響く構図になっていないでしょうか。
次に「なぜ今、この言い切り方なのか」を考えます。
選挙が近い、支持を広げたい、議論を二分化したい――そうした目的が透けて見えないかを確認します。
さらに「この言い方は、社会全体に当てはめても成り立つか」を考えます。
反対者を一括りに排除する構図は、別の立場の人に向けられたとき、自分自身に返ってくる可能性があります。

このように、数十秒立ち止まって考えるだけでも、その投稿に振り回されにくくなります。
大切なのは、正解にたどり着くことではなく、自分の判断を一度、自分の手に取り戻すことです。

おわりに

参政党現象は、日本の民主主義が単純に壊れていることを示しているわけではありません。むしろ、忙しく余裕のない社会のなかで、私たちがどのように政治と距離を取ってきたかを映し出しています。
・選挙はマーケティングで終わってよいのか。
・政治参加とは、気分や帰属意識だけで成り立つものなのか。
これらの問いに、完璧な答えを出す必要はありません
ただ、考える余地を自分の中に残しておくこと。
その小さな積み重ねこそが、民主主義を空洞化させない力になるのではないでしょうか。

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