はじめに
近年の選挙やSNS言論を見ていると、政策や制度設計そのものよりも、「支持者の感情」や「期待」をどう動かすかに重点を置いた言説が目立つようになっています。その典型例の一つが、「高市早苗氏を応援するなら、別の政党に投票すべきだ」という趣旨の主張です。
本稿では、この種の言説がどのように支持者心理を操作していたのかを整理し、政治的な是非ではなく、言説構造そのものの問題として掘り下げてみたいと思います。
「高市支持」という感情の “横取り” 構造
高市氏は、保守層を中心に強い支持を集めてきました。その支持の中身を細かく見ていくと、
・強硬な外交・安全保障姿勢への期待
・リベラル色の強い政治への反発
・「筋を通す政治家」というイメージ
といった、人物評価と感情的共感が大きな比重を占めています。
問題の言説は、この感情を次のようにすり替えます。
「あなたが支持しているのは “高市” であって、“自民党” ではないはずだ」
ここで行われているのは、
高市支持 = 反自民執行部
高市支持 = 自民党に入れなくてもよい
という短絡的な結び付けです。
この段階で、支持者の中にある「高市を応援したい」という純粋な動機は、投票行動と切り離され、宙に浮いた状態になります。
「脅し」と「希望」を交互に与える心理操作
さらに特徴的なのは、メッセージの振れ幅です。
「自民が勝てば高市は潰される」
「だから高市支持なら別党へ」
という“危機訴求”の直後に、
「政権の一角に入れていこう」
「高市政権を支える」
といった “希望訴求” が続きます。
これはマーケティングでよく知られる手法で、
・不安を煽る
・不安の回避策として自分たちを提示する
という構造を取っています。
問題は、その回避策が現実的に成立するかどうかが、ほとんど説明されていない点です。
制度説明を欠いたままの「物語」提示
日本の政治制度では、
・与党過半数
・首班指名
・予算成立
といった条件が首相続投に直結します。
それにもかかわらず、
・与党票を割る行為
・首班指名・予算での支持実績の欠如
と「高市続投に不利な行動」と、
「高市を応援している」
という言葉が同時に語られ続けました。
これは、制度の説明を省略したまま、感情に訴える物語だけを提示する手法です。
結果として支持者は、
「どこに投票しても高市になる」
「今は抗議的投票をしても大丈夫」
といった誤解を抱きやすくなります。
責任の所在をぼかすレトリック
選挙後に想定と異なる結果が生じた場合、
「騙されたのは自民に投票した人だ」
「我々は警告していた」
と語る余地があらかじめ用意されています。
これは、
・成功すれば自分たちの功績
・失敗すれば他者の判断ミス
という責任転嫁が可能な構造です。
支持者にとっては、
「信じた結果が失敗でも、自分が間違っていたと認めなくて済む」
という心理的逃げ道が残されます。
なぜこの手法は批判されるのか
この種の言説が批判される理由は、思想の違いではありません。
・支持者の感情を利用し
・制度的現実を曖昧にしたまま
・結果的に支持対象本人を不利にする可能性が高い
という点にあります。
高市氏を本当に支持するのであれば、
・どの選択が有利か
・どの行動がリスクを伴うか
を、支持者に対して正面から説明する責任があるはずです。
おわりに
「誰を応援しているか」と「どこに投票するか」は、本来切り離せない問題です。
感情的共感だけを切り出し、
「あなたの気持ちはそのままで、行動だけ変えればいい」
と誘導する言説は、一見すると優しく、寄り添っているように見えます。
しかし実際には、支持者に政治的判断を丸投げさせる危うさを含んでいます。
政治的立場の違いを超えて、
「その言葉は、支持者が結果を引き受けられる形で語られているか」
この視点を持つことが、今の時代にはより一層求められているのではないでしょうか。
