予算委員会はなぜ機能不全に陥ったのか――不正追及と予算審議を両立させるための制度改革論

予算委員会の在り方について書きました。
不正や疑惑の追及を否定するものではありませんが、
予算審議そのものが形骸化している現状は、そろそろ制度論として整理されるべきだと考えています。
本来、この論点は専門家の間で先に語られていてもよかったはずです。
関心のある方に読んでいただければ幸いです。

はじめに

日本の国会における予算委員会の審議について、近年、少し気になる点があります。
それは、予算案そのものよりも、閣僚や官僚の発言や不手際をめぐる質疑が、多くの時間を占めているように見えることです。
本来、国家予算は、限られた財源をどの政策にどのような優先順位で配分するのかを決める、重要な意思決定です。
その意味で、予算委員会は、政策の中身や効果、将来への影響を丁寧に議論する場であるはずです。
本稿は、不正や疑惑の追及を否定するものではありません。
そうした追及は民主主義にとって不可欠です。
ただし、「どの問題を、どの委員会で扱うのが最も合理的か」という制度の整理については、改めて考える余地があるのではないか、という問題意識から、この文章を書いています。

予算委員会の本来の役割とは何か

予算委員会は、国の歳入歳出全体を審査する場です。
そこでは、本来、次のような論点が中心になるべきです。
・各政策が予算に見合う効果を上げているか
・優先順位の設定は合理的か
・同じ目的を、より低コストで達成できる代替案はないか
・将来世代への財政負担はどの程度か
つまり、政策と予算を結びつけた実質的な議論こそが、予算委員会の存在意義です。
ところが現実には、予算案そのものではなく、内閣や個別大臣への政治的追及の場として使われることが多くなっています。

「追及」が悪いのではない、「場の混同」が問題である

ここで誤解してはならないのは、不正や疑惑、失言の追及自体は、完全に正当な行為だという点です。
特に、長年政権を担い、利権や不透明な政治資金の温床となりやすい政党・政治家に対して、野党やマスコミが監視し、国会で厳しく追及することは、民主主義の健全性を保つうえで不可欠です。
しかし問題は、それらが予算案を人質にする形で、予算委員会に集中してしまっている点にあります。
たとえば、
 ○○大臣の失言
 → 本来は、当該大臣が所管する行政分野を扱う常任委員会
 公職選挙法違反に関する疑惑
 → 政治倫理・選挙制度を所管する委員会
 行政手続き上の不備や不祥事
 → 該当する省庁の所管委員会
それぞれ、専門性をもって審議すべき委員会が存在しているにもかかわらず、注目度の高い予算委員会に議論が集約され、専門委員会が形骸化しています。
これは、個々の政党の問題というより、国会全体の機能配置が歪んでいることの表れです。

なぜこの歪みは放置されてきたのか

この問題は、法律の欠陥によって生じているものではありません。
理由は、制度そのものではなく、運用と国会運営の慣行にあります。
重要なのは、
予算委員会で予算と直接関係のない質疑が行われているのは、
法律上それが明示的に認められているからではない
という点です。
現行法の下でも、
・予算委員会を、予算および予算執行に関する審議の場として運用することは十分可能です
脱線した質疑を「慣行」として黙認してきた結果、既成事実化しています
したがって、本稿で提起する改革は、新たな法改正を前提とするものではありません。
国会自身が、国会運営の在り方を見直し、運用を改めれば実行できる改革です。

必要なのは「追及の後退」ではなく「役割分担の再設計」

ここで強調したいのは、求められているのは追及の手控えではない、という点です。
必要なのは、
・不正や疑惑の追及は、より専門的に、より集中的に行うこと
・予算委員会は、予算と政策の中身を本気で審議する場に戻すこと
という機能分化の回復です。
そのために、次の四点をセットで進める必要があります。

改革パッケージ① メディア改革(可視化の分配)

国民の関心は、自然発生的なものではありません。
何が、どのように可視化されるかによって形成されます。
現状では、予算委員会ばかりが集中的に報じられ、他の委員会で行われている重要な議論が、ほとんど国民の目に触れていません。
しかし実際には、各委員会の審議を可視化するための基盤は、すでに存在しています。
たとえば、X(旧Twitter)の参議院審議中継公式アカウント、衆議院事務局の公式アカウント、YouTubeの衆議院事務局チャンネルなどを通じて、各常任委員会の審議中継が行われています。
問題は「手段がない」ことではなく、それらが十分に整理・活用され、
マスメディアの報道や解説と結びついていないことにあります。
主要な委員会審議を定点的に取り上げ、「今週、どの委員会で何が議論されているのか」を可視化する。
その積み重ねによって、国民の関心の偏りは是正可能です。

改革パッケージ② 国会運営ルールの明文化

予算委員会において必要なのは、質問内容を一律に禁止することではありません。
現実的な解決策は、予算委員会で行う質問について、予算または予算執行との関連性を説明することを要件化するという運用ルールの明文化です。
これにより、不正や疑惑の追及そのものは可能ですが、予算と無関係な政治的アピールは抑制されます。
つまり、追及は可能なまま、審議の軸を予算に戻すことができます。
逆に言えば、予算や予算執行との関連性を合理的に説明できない場合には、その質問を予算委員会では行わない、という判断も正当化されます。
たとえば、2026年の衆議院解散総選挙の最中に、高市自民党総裁が持病の治療を理由にNHKの党首討論会を欠席したことについて、
これを「敵前逃亡」「責任放棄」などと断じて責任追及する質問は、予算や予算執行との関連性を説明することが困難です。
したがって、その種の質問を予算委員会では認めず、必要であれば別の場で行うという整理は、十分に合理的です。

改革パッケージ③ 国民参加型の正当化プロセス

国会運営の見直しを、国会内部の都合だけで決めてはなりません。
運営ルール見直し案を公表し、パブリックコメントや意見募集を実施し、賛否両論を整理して公開する。
こうしたプロセスを経ることで、改革は「政権の都合」ではなく、「国民的合意形成の結果」となります。

改革パッケージ④ 政権政党と国会指導部の説明責任付きの決断

最後に必要なのは、覚悟です。
ただし、ここでいう覚悟は、単に「政権政党の政治判断」にとどまるものではありません。
形式的・手続き的に見れば、予算委員会の運営や国会審議の在り方は、行政府ではなく立法府、すなわち国会内部の問題です。
具体的には、衆議院の議院運営委員会を中心に、各常任委員会の運営ルールとして議論・整理されるべき事項です。
もっとも、現実の国会運営においては、
・議院運営委員会の委員長
・予算委員会の委員長
・各常任委員会の委員長
の多くは、絶対多数を占める与党、すなわち自民党所属議員が就任するのが通例です。
また、衆議院議長も、自民党議員から選出されるのが慣行であり、議長在任中は党籍を離脱するものの、出身母体は明らかです。
このため、実質的には、国会運営の見直しを前に進めるためには、与党が最終的に腹を括る以外に道はありません。
議院運営委員会や各委員会において、反対する野党委員の意見を踏まえつつも、多数決を含む形で結論を出す局面は、避けて通れないでしょう。

重要なのは、その決断を「数の力による押し切り」として曖昧に済ませないことです。
最終的には、衆議院議長が国会を代表する立場として、次の点を国民に対して明確に説明する責任を負うべきです。
・これは不正追及を弱める改革ではないこと
・追及はより専門的な場で、より厳しく行うための整理であること
・予算委員会を、本来の役割である予算審議の場に戻すための改革であること
・国会全体の機能を回復するための制度的前進であること

この説明を正面から行い、国民の理解を求めることなしに、改革は正当性を持ち得ません。
「逃げ」ではなく、「機能回復」であると語り切ること――
それこそが、国会多数派と国会指導部に求められる、最後の責任です。

おわりに

予算委員会の現状は、与党にとっても、野党にとっても、国民にとっても、決して望ましいものではありません。
追及は消耗戦になり、予算審議は形骸化し、国会全体の信頼が失われています。
本稿で提起した改革は、誰かを守るためのものではありません。
国会という民主主義の装置を、もう一度正しく機能させるための提案です。
不正追及と予算審議は、対立するものではありません。
制度を整えれば、両立できます。
その当たり前を、そろそろ本気で取り戻す時期に来ているのではないでしょうか。

想定反論Q&A

Q1.「それは単なる逃げでは? 本当は反論できないから、規制や線引きを持ち出しているだけでは」
A.逃げではありません。むしろ逆で、「反論が可能な場」と「議論が成立しない場」を峻別しようとしています。
反論とは、本来、
・前提が共有され
・事実確認が可能で
・相手の言葉が責任を伴う
という条件のもとで初めて意味を持ちます。
しかし、匿名性や拡散性を前提とした場では、この条件が崩れやすく、反論が「説得」ではなく「消耗戦」になることが少なくありません。
そのため、議論の土俵そのものを整理することは、反論から逃げることではなく、反論が成立する環境を守る行為だと考えています。

Q2.「それって結局、言論統制では? 都合の悪い意見を封じたいだけに見える」
A.言論統制とは、「内容」や「思想」そのものを理由に発言を封じることです。
ここで問題にしているのは内容ではなく、発言の形式と影響の大きさです。
たとえば、
・虚偽を事実のように拡散する
・個人を攻撃対象として動員する
・説明責任を負わない形で世論形成に影響を与える
こうした行為は、意見の自由というより、影響力の行使に近い側面を持ちます。
表現の自由が無制限ではないのと同様に、
「誰が・どのような条件で・どれだけの影響力を持って発信するか」
についてのルールを考えることは、言論統制とは別の次元の議論です。

Q3.「そんな線引きをしたら、結局は権力側に都合よく使われるのでは?」
A.その懸念は正当であり、だからこそ慎重な議論が必要です。
ただし、濫用の可能性があるから議論しないという姿勢も、同時にリスクを伴います。
重要なのは、
・ルールの目的を明確にすること
・適用範囲を限定すること
・検証・見直しの仕組みを組み込むこと
です。
何も決めない状態のまま影響力だけが肥大化するほうが、長期的には民主主義にとって不透明だという問題意識があります。

Q.「結局、『正しさ』を決めたいだけでは?」
A.正しさを決めたいのではありません。
むしろ、「正しさだけでは制度も社会も動かない」という前提に立っています。
だからこそ、
・感情
・動員
・拡散構造
といった要素を含めて、現実の政治・言論環境をどう設計するかを考えています。
これは価値判断の押し付けではなく、制度設計の問題です。

付記――なぜ、この論点は語られてこなかったのか

本稿で提示した問題意識は、決して奇をてらったものでも、特殊な立場からの主張でもありません。
国会の役割分担や予算審議の在り方について、制度的に考えれば、いずれ誰かが正面から論じて然るべき論点であると考えています。
むしろ率直に言えば、
この種の問題提起は、本来、政治評論家や政治学者、法学者といった、国会制度や憲法秩序を専門とする立場の人々の中から、とっくの昔に発せられていても不思議ではなかったはずです。
では、なぜ、そうした議論はこれまでほとんど表に出てこなかったのでしょうか。
一つの可能性として考えられるのは、マスコミ、とりわけテレビへの出演機会が多い専門家ほど、
制度そのものを問う議論よりも、その時々の政治的空気や対立構図に、結果として強く適応してきたのではないか、という点です。
テレビは即時性や分かりやすさを強く求めるメディアです。
そのため、「誰が悪いのか」「どちらが勝つのか」といった構図が好まれやすく、
国会運営の構造的な問題や、委員会制度の機能低下といった論点は、どうしても扱いにくいテーマになりがちです。
もちろん、すべての専門家がそうだと断じるつもりはありません。
しかし少なくとも、メディア露出が多い一部の層において、
専門家としての問題提起や職業倫理よりも、無難さや摩擦回避を優先する傾向が全くなかったとは言い切れないでしょう。

本稿は、そのような空白を埋める試みでもあります。
誰かを糾弾するためではなく、
国会という制度を、もう一度きちんと機能させるために、
本来、正面から議論されるべき論点を提示したつもりです。
この問題提起が、専門家やメディアの側にも投げ返され、
より深く、より冷静な議論へとつながっていくことを期待しています。

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