なぜ日本の左派は『自業自得』が見えなくなったのか

はじめに

近年、日本社会では「左派(いわゆる左翼)勢力への信頼低下」や「世論の左派離れ」が指摘されることが増えています。しかし当事者の側からは、その理由について十分な内省や説明がなされているようには見えません。むしろ、「ポピュリズムの台頭」や「有権者の劣化」といった外部要因に原因を求める言説が目立ちます。

本稿では、特定の思想や人物を断罪することを目的とするのではなく、なぜ日本の左派勢力の一部が「自業自得」という視点を持ちにくくなっているのか、その構造的要因を冷静に整理します。前編となる本稿では、とくに「国会審議の在り方」と「マスコミ報道姿勢」の相乗効果に焦点を当てます。

なお、本稿で述べる内容は、すべての左派関係者に当てはまるものではありません。

「正義の側」に立ち続ける構造

日本の国会審議は、“制度” 上、質問者である国会議員が政府を問い、政府(大臣・官僚)がそれに答えるという一方向的な構造をとっています。政府側から質問者に対して反論したり、逆質問したりすることは原則として認められていません。
この構造のもとでは、野党議員は常に「追及する側」「裁く側」に立つことになります。そして多くの場合、その立ち位置は「国民の側」、とりわけ「多数派の一般大衆」や「社会的弱者の代弁者」として演出されます。

この役割分担自体は、議会制民主主義の一側面として理解できるものです。
しかし問題は、その立場が一時的な役割ではなく、長年にわたって固定化される点にあります。
人は、同じ役割を繰り返し演じるうちに、それを自らの人格や価値観と同一化していきます。その結果、「自分たちは常に正義の側に立っている」という自己認識が、無自覚のうちに強化されていくのです。

反論されない正義が生む思考停止

本来、正義や理念は、反論や批判にさらされることで鍛えられるものです。
しかし国会審議の場では、質問の前提が不正確であっても、政府側は制度的にそれを根本から崩しにくい状況に置かれています。
その結果、
・野党議員の主張
・それを支持する有権者
・取材・報道を行うマスコミ
の間に、「追及している側は正しい」という暗黙の合意空間が形成されやすくなります。
この空間では、自らの論理を点検する動機が弱まり、「それは本当に国民全体の利益になっているのか」「論理に飛躍はないか」といった問いが生じにくくなります。
こうして、自己修正や自己批判の回路が次第に細っていきます。

マスコミの報道姿勢との共鳴

この傾向をさらに強めているのが、日本のマスコミの報道姿勢です。
日本の報道機関の多くは、「権力監視」を強く意識した職業倫理を共有しています。
それ自体は重要な価値ですが、しばしば次のような単純化を伴います。
・権力を追及する側=善
・権力を行使・説明する側=疑わしい存在
この枠組みの中では、野党議員の質問は「鋭い追及」として肯定的に報じられ、政府の答弁は「苦しい釈明」「後退」といった否定的な文脈で語られがちです。

こうした報道が積み重なることで、野党側には「自分たちは正しいことをしている」という確信がさらに強化されます。
同時に、その言動が国民にどのように受け止められているかを省みる契機は、ますます失われていきます。

原理よりも立場が優先される瞬間

この構造の問題点は、外交や国際政治の文脈でも露呈します。
たとえば、外国の政治指導者が日本の内政に言及した場合、その評価が一貫した原理ではなく、「誰が言ったか」「自分たちにとって都合がよいか」によって左右される場面が見られます。
本来、「内政干渉は望ましくない」「外国政府の発言は距離をもって受け止める」という原則があるはずです。しかし実際には、立場の違いによって反応が大きく異なることがあります。
こうした態度の揺らぎは、国民の側から見ると「二重基準」「ご都合主義」と映りやすく、信頼低下の一因となります。

なぜ「世論の変化」が理解できないのか

以上のような国会構造と報道慣行の相乗効果の中で、左派勢力の一部には次のような前提が共有されやすくなります。
・我々は常に国民の側に立っている
・我々は権力を監視する正義の担い手である
この前提そのものが疑われないため、支持を失ったときにも、その原因を自らの言動に求める発想が生まれにくくなります。
結果として、世論の変化は「社会の劣化」や「誤解」として処理され、「自業自得」という視点が視界から消えてしまうのです。

おわりに(続編への導入)

本稿では、日本の左派勢力の自浄能力が低下しているように見える背景として、国会審議の構造とマスコミ報道の相互作用を整理しました。
しかし、問題を指摘するだけでは建設的とは言えません。重要なのは、「では、どうすれば自己修正能力を取り戻せるのか」という点です。
続編では、
・国会審議の在り方
・マスコミの役割
・言論空間と市民の責任
といった観点から、自浄能力を回復するための具体的な条件を考察していきます。

想定反論Q&A(前編補足)

Q1.それでも「権力監視」は民主主義に不可欠ではありませんか?
.その通りです。権力監視そのものを否定しているわけではありません。
本稿で問題にしているのは、「権力監視=常に善」「追及する側=常に正義」という単線的な理解が固定化してしまう点です。
権力監視は、事実確認と論理的一貫性を伴ってこそ機能します。
ところが、追及する側の前提や論理が点検されないまま称揚され続けると、監視ではなく「正義の演出」に近づいてしまいます。
民主主義に必要なのは、監視そのものではなく、健全な緊張関係です。

Q2.政府は実際に強い権力を持っているのだから、野党やマスコミが厳しくなるのは当然では?
.権力の非対称性は事実ですが、それだけで思考停止が正当化されるわけではありません。
確かに政府は予算、法案、行政権を握っています。
しかし、
・国会で反論されない立場
・マスコミ報道で常に「疑われる側」に置かれる立場
という点では、政府もまた制度的制約を受けています。
重要なのは「どちらが強いか」ではなく、
どの立場の言説も検証にさらされているかです。
野党やマスコミの主張が、立場ゆえに検証を免れているなら、それは民主主義にとって健全とは言えません。

Q3.右派や与党側にも同じ問題があるのでは?左派だけを問題にするのは不公平では?
.同様の問題は、どの陣営にも起こり得ます。
本稿が左派勢力を主な対象にしているのは、
「自らを批判的知性と位置づけてきた」
「権力監視をアイデンティティとしてきた」
という立場にあるからです。
自己点検能力の低下は、右派・左派を問わず起こり得ますが、
本来それを最も警戒すべき側に起きているように見える、
そこに本稿の問題意識があります。

Q4.世論の左派離れは、SNS時代のデマ拡散やポピュリズムの影響ではありませんか?
.それらの要因も否定できませんが、それだけでは説明しきれません。
もし主因が外部環境だけであれば、
・なぜ一部の左派だけが強く支持を失っているのか
・なぜ同じ環境下でも信頼を維持している論者がいるのか
という点が説明できません。
本稿では、外部要因に加えて内部構造の問題を考える必要がある、という立場を取っています。

Q5.「自業自得」という言葉は強すぎませんか?分断を深めるだけでは?
.本稿での「自業自得」は、断罪ではなく分析のための言葉です。
ここで言う「自業自得」とは、
「だから排除されて当然だ」
という意味ではありません。
むしろ、
 支持を失った理由を自分たちの行動や構造に求められるか
という自己修正能力の有無を問うための表現です。
分断を避けるためにも、
外部への非難ではなく、内部への問いかけが必要だと考えています。

Q6.あなた自身は、左派の価値そのものを否定しているのですか?
.否定していません。むしろ、価値が形骸化することを危惧しています。
人権、少数者保護、権力監視といった価値は、民主主義社会にとって不可欠です。
だからこそ、それらが「自明の正義」として思考停止に陥ることを問題視しています。
価値を守るためには、価値を疑う力も必要です。

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