いじめは最も身近な人権侵害
いじめは単なる子ども同士のトラブルではない。
・尊厳の侵害
・継続的な精神的暴力
・教育機会の剥奪
・場合によっては生命の危険
これは明確に「人権問題」である。
担任不在の自習時間。
クラスのいじめっ子が、いつもの被害生徒に暴言を浴びせ続けていた。
注意してもやまない。
そこで、ある女子生徒が録音し、教室に戻った担任に報告した。
ところが担任の反応はこうだった。
「校内で友達の録音は禁止だ!」「すぐに消しなさい!」
そして、いじめの事実は取り上げられなかった。
この出来事には、現代の学校が抱える重大な問題が凝縮されている。
優先順位の倒錯
学校において最優先されるべきものは何か。
それは明らかに、
生徒の安全と尊厳の確保である。
にもかかわらず、このケースでは
・継続的な暴言(人権侵害)
よりも
・校内規則違反(録音行為)
が優先された。
これは判断の軸が逆転している。
規則は秩序を守るための手段にすぎない。
人の尊厳より上位に置かれるべきものではない。
証拠の抹消という構造
いじめ問題が解決しにくい理由の一つは、
「証拠がない」と処理されやすい点にある。
その中で、勇気を出して証拠を確保した生徒に
「消しなさい」と命じる。
これは単なる注意ではない。
結果として、
・被害の立証を困難にし
・加害者を事実上守り
・学校の “問題化” を回避する
という構図を生む。
意図がどうであれ、
問題を小さく見せる側に立ったことになる。
教室に広がるメッセージ
この対応は、クラス全体に何を伝えるか。
・いじめを告発すると叱られる
・正義感はリスクになる
・黙っていたほうが得
教室は「沈黙の共同体」になる。
いじめが横行する環境は、
加害者の強さによってではなく、
周囲の沈黙によって完成する。
校則の本来の位置づけ
録音禁止規定には、当然理由がある。
無断録音はプライバシー侵害にもなり得る。
しかしそれは、
不正を隠すための盾ではない。
緊急避難的に証拠を確保する行為と、
悪意ある盗撮を同列に扱うのは、
倫理判断として粗い。
教育現場に求められるのは、
規則の機械的適用ではなく、
価値の優先順位を見極める力である。
教育とは何を育てる営みか
この事件の核心はここにある。
勇気を出した生徒を守らなかった。
それは、
「見て見ぬふりをしなさい」
と教えることと同じである。
もし学校が、
従順で波風を立てない子どもを育てる場なら、
この対応は合理的かもしれない。
しかし、
不正に向き合う人格を育てる場であるなら、
これは明確な失敗だ。
本来取るべきだった順序
本来の対応はこうである。
1)いじめの事実確認を最優先する
2)録音の扱いはその後に整理する
3)告発した生徒を保護する
4)クラス全体に「いじめは許さない」と明確に示す
この順序を誤ると、
正義が孤立する。
結びに
問題は「録音が良いか悪いか」ではない。
問題は、
学校が何を守ろうとしたのかである。
秩序か。
体面か。
それとも、子どもの尊厳か。
正義を叱る教室は、
やがて正義を持たない社会を生む。
教育の本質は、
規則順守ではなく、
価値の優先順位を教えることにある。
その順位を誤ったとき、
被害者だけでなく、
勇気を持とうとした子どもまで失われる。
私たちは、その重さを直視しなければならない。
