ダブルスタンダードが壊す“信頼”――人権・民主主義を“道具”にしていないか

二重基準(ダブルスタンダード)を当然のように使い分ける姿勢は、社会の根幹にある “信頼” を静かに、しかし確実に蝕みます。法の支配や基本的人権の尊重、民主主義、表現の自由といった社会の基盤を成す普遍的な原則は、立場の違いを超えて一貫して守られるべきものです。さらに、人権擁護や平和外交、多様性の尊重といった理念もまた、その延長線上に位置づけられる価値であるはずです。

しかし、これらの理念が一貫した信念としてではなく、特定の政治的立場やイデオロギーを実現するための “道具” として選択的に用いられるとき、その価値は空洞化します。原則が自らに有利な場合にだけ強調され、不都合な場面では棚上げされるのであれば、それは理念の尊重ではなく、戦術の使い分けにすぎません。

たとえば、「コメディアンが権力者を風刺するのは表現の自由だ」と主張するのであれば、「その風刺を不快に感じた視聴者がコメディアンを批判することもまた表現の自由である」という点も、同じ基準で認めなければなりません。自分が支持する側の発言は自由として擁護し、反対側の発言は封じようとするのであれば、それは自由の尊重ではなく、立場の擁護にとどまります。

問題は単なる論理の整合性ではありません。原則が恣意的に扱われる社会では、「その言葉は本当に信じてよいのか」という疑念が広がります。理念が道具として使われていると感じた瞬間、人々は価値そのものではなく、発言者の立場や思惑を疑うようになります。こうして社会の言論空間から、相互の信頼が失われていきます。

価値とは、自らに不都合な場合にも適用してこそ価値です。一貫性を欠いた正義は、やがて正義そのものへの信頼を崩します。私たちが問うべきなのは、「誰がその理念を掲げているか」ではなく、「その原則が立場を超えて一貫して適用されているかどうか」です。信頼を守るためにこそ、原則は平等に扱われなければなりません。

\ 最新情報をチェック /

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました