「帰化人」という言葉は差別用語なのか。
それとも、気に入らない言葉を排除しようとする “言葉狩り” にすぎないのか。
この問いは、単なる語彙の問題ではありません。
それは、表現の自由と差別抑制の関係をどう整理するか、さらに言えば、SNS時代の言論空間をどう評価するかという、より大きな論点につながっています。
本稿では、「帰化人」を一つの例として、法的整理とSNS構造の観点から考えます。
法的に「差別用語」なのか
まず確認すべきは、日本法に「差別用語一覧」のような包括的リストは存在しないということです。
日本国憲法21条は表現の自由を保障しています。これは民主主義の基盤です。
他方、14条は法の下の平等を定めています。
つまり、
・表現の自由は最大限保障される
・しかし他者の権利侵害は許されない
という構造です。
2016年施行のヘイトスピーチ解消法も存在しますが、これは理念法であり、特定語の使用を直ちに処罰する仕組みではありません。
したがって、「帰化人」という語が法的に一律違法となるわけではありません。
違法となり得るのは、
・出自を断定的に暴露する
・それを根拠に忠誠心や人格を疑う
・社会的評価を低下させる文脈で拡散する
といった場合であり、
問題の核心は言葉そのものではなく、使用文脈と権利侵害の有無にあります。
「ラベリング」が持つ力
とはいえ、法的に禁止されていないからといって、社会的影響が小さいわけではありません。
「〇〇は帰化人だ」という断定は、しばしば人物を単一属性に還元し、
・議論の複雑性を奪い
・反論の余地を狭め
・集団的排除の口実を与える
という効果を持ちます。
これがいわゆるラベリングです。
ラベルは、議論を深めるためではなく、思考を止めるために使われるときに危険になる。
だからこそ、慎重さが求められます。
SNSは危険空間か、それとも自浄空間か
ここで重要になるのが、SNSの構造です。
従来の新聞やテレビ、たとえばNHKの報道は、基本的に一方向型です。編集権は中央集権的で、視聴者は即時に訂正できません。
一方、XなどのSNSは、
・誰でも発信できる
・即座に反論できる
・元資料を提示できる
・訂正や批判が同じ空間で可視化される
という双方向型の構造を持ちます。
確かにSNSでは誤情報も拡散します。
しかし同時に、検証も拡散します。
この点に、SNS特有の分散型の自浄作用があります。
誤ったラベリングが行われた場合でも、
・反証データが提示され
・過去発言が掘り起こされ
・議論が可視化される
という回路が存在します。
もちろん、エコーチェンバーや集団攻撃の問題は否定できません。
しかし、構造として「訂正不能」な空間ではない。
ここは、しばしば過小評価されている視点です。
規制か、成熟か
SNSをめぐる議論はしばしば、
・国家による強い規制を導入するか
・完全に自由に任せるか
という二項対立に陥ります。
しかし本質はそこではありません。
SNSはもともと、
誰もが参加し、誰もが検証できる言論空間です。
であれば必要なのは、
・プラットフォームの透明な運営基準
・市民同士の批判的対話
・メディアリテラシーの向上
といった、成熟の方向です。
国家権力による過度な規制は、
表現の自由を萎縮させる危険をはらみます。
一方、放任もまた分断を深めます。
だからこそ重要なのは、
分散型空間の強み――自浄作用――をどう活かすかです。
結論
「帰化人」という言葉が差別用語かどうかを単純に断定することはできません。
重要なのは、
・法的評価(違法かどうか)
・社会的評価(分断を深めるかどうか)
・構造的評価(訂正可能かどうか)
を分けて考えることです。
SNSは確かに混沌としています。
しかし同時に、それは相互監視と相互批判が可能な空間でもあります。
言葉を狩ることでも、無制限に放任することでもなく、
自らの発言に責任を持ち、他者の発言を検証し合う成熟した市民社会を築けるか。
問われているのは、
言葉そのものよりも、私たちの使い方なのだと思います。
