「いじめ=犯罪」でいいのか?――怒りと制度設計を分けて考える

「いじめは犯罪だ。」
いじめ被害者の親御さんの、魂からの叫びを見るたびに、胸が締めつけられます。
確かに、現実に起きている「いじめ」の中には、
・恐喝(カツアゲ)
・暴行・傷害
・名誉毀損
・器物損壊
・強制行為
といった、大人がやれば即座に刑事事件となる行為が含まれていることは否定できません。
その意味で、
 「いじめの中には犯罪がある」
これは紛れもない事実です。

しかし同時に、
 「いじめ=すべて犯罪」
と単純化してしまってよいのでしょうか。
ここを冷静に整理しなければ、議論は前に進みません。

なぜ混乱が起きるのか

最大の問題は、「いじめ」という言葉があまりにも広すぎることです。
昔ながらの、比較的軽微なからかいや悪ふざけと、
刑法犯レベルの重大な加害行為が、
同じ「いじめ」という言葉で一括されている

この “言葉の雑さ” こそが、議論を混乱させている原因ではないでしょうか。
本来は、内容で分解して考えるべきなのです。

いじめを三つに分類してみる

私は、いじめと呼ばれている行為を、少なくとも次の三段階に整理すべきだと考えます。
① 不適切・迷惑行為(教育的指導領域)
例:からかい
  悪ふざけ
  排除的態度
  未熟さゆえのトラブル
これは主として「教育」の領域です。
学校内での指導や保護者との連携が中心となるべき段階です。
法的問題を含む違法行為(民事責任領域)
例:名誉毀損にあたる悪口やネット投稿
  継続的な精神的嫌がらせ
  財産的損害の発生
ここでは、もはや単なる指導では足りません。
民事上の責任、場合によっては保護者の監督責任が問題となります。
「子ども同士のこと」で済ませてよい段階ではありません。
明確な刑法犯相当行為(刑事対応領域)
例:暴行・傷害
  恐喝
  強制わいせつ
  重大な器物損壊
これは完全に「犯罪領域」です。
本来であれば、警察や児童相談所などの外部機関が関与すべき段階です。
しかし現実には、これらが「学校内問題」として処理され続けてしまうケースが少なくありません。

「いじめ=犯罪」と言いたくなる理由

被害を受けた側から見れば、
「これは喧嘩ではない。犯罪だ。」
そう言いたくなるのは当然です。

その怒りは、
言葉によって矮小化され続けてきた歴史への抗議でもあります。
そして、その怒りには正当性があります。

それでも、線引きは必要だ

しかし、制度設計の議論では、感情と構造を分けて考える必要があります。
すべてを「犯罪」と呼べば、
・教育的介入が必要なケースまで刑事化される
・発達段階を無視した対応になる
・概念が曖昧になり、結局また形骸化する
という新たな問題が生じます。

だからこそ、
 「いじめ」という言葉を廃するのではなく、
 中身で分解し、段階で対応を変える。
この視点が不可欠なのです。

本当に問うべきこと

実は、最大の問題はここかもしれません。
 なぜ刑法犯相当行為が、教育問題として内部処理され続けているのか。

いじめ防止対策推進法は重大事態への対応を定めています。
しかし実務では、なお学校内完結主義が根強く残っています。
「いじめ」という言葉が、結果的に犯罪性を薄める緩衝材として機能してしまっている側面は否定できません。

結論

私は、こう考えます。
・「いじめ=犯罪」というスローガンには警鐘としての意義がある
・しかし、制度としては分類と線引きが不可欠
・本当に変えるべきは、言葉よりも
“処理構造” である

怒りは社会を動かす原動力です。
しかし社会を設計するのは、冷静な整理です。
いじめをなくすために必要なのは、
「感情の正しさ」と
「構造の精密さ」
この両方なのではないでしょうか。

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