感情と理性は両立できる――SNS時代の主権者が「選び直す力」を持つということ

SNSの時代になって久しく、政治をめぐる言論空間は大きく変わりました。かつてはテレビや新聞といった限られた媒体が情報発信の中心でしたが、いまや誰もが発信者になれる時代です。その結果、マスメディアへのチェックも活発化し、SNS内部でも相互の検証が行われるようになりました。情報は玉石混淆ですが、自浄作用も確かに働いています。

しかし一方で、別の現象も目立ちます。矛盾した発言や二重基準がすぐに指摘される時代であるにもかかわらず、感情的な言動やブーメラン的主張が繰り返されるという現実です。なぜそのようなことが起きるのでしょうか。

その背景には、「情報空間の制度設計」があると考えます。現在のSNSは、強い感情に反応しやすい構造を持っています。怒りや断定的な言葉は拡散しやすく、冷静で複雑な議論は広がりにくい傾向があります。いいねや再生回数といった数値が可視化されることで、発信者はどうしても「伸びる言葉」を選びやすくなります。

この構造の中では、整合性や長期的信頼よりも、短期的な動員力が優先されがちです。結果として、与野党を問わず、感情を前面に出す政治スタイルが強まります。これは特定の思想の問題というより、環境が行動を規定している側面が大きいと言えるでしょう。

では、感情は悪なのでしょうか。私はそうは思いません。

しばしば「感情の政治」と「理性の主権」は対立的に語られます。しかし実際には、感情は思考の土台の上に生まれるものです。「こうあるべきだ」「これはおかしい」という判断があってこそ、怒りや希望、誇りといった感情が生じます。感情は、価値判断を伴った思考の結晶とも言えるのではないでしょうか。

問題なのは感情そのものではありません。感情が理性から切り離され、検証や反省を拒むときに危うさが生じるのです。理性は方向を示し、感情は前に進む力を与えます。どちらか一方だけでは、民主主義は長く続きません。理性と感情は、いわば車の両輪なのです。

民主主義国家の主権者は国民です。たとえ特定の政党の党員や支持者であっても、党員をやめる自由、支持政党を変更する自由があります。選挙のたびに、政策の中身、提案の具体性、情報の質を見て、投票先を選び直すことができます。この「選び直す自由」こそが、国民主権の核心です。

固定支持は政治に安定をもたらしますが、無条件の支持は政治を緊張から解放してしまいます。「この支持者は今回も当然投票してくれる」と思われた瞬間、主権者の力は弱まります。だからこそ、有権者が「毎回選び直す」という姿勢を持つことが重要なのです。

もちろん、一人ひとりの力は小さいかもしれません。しかし、微力であっても無力ではありません。自陣営の矛盾にも目を向け、感情を理性で支えながら言葉を発する人が少しずつ増えれば、政治文化は確実に変わります。塵も積もれば山となるのです。

情報空間の制度設計が感情を煽りやすい時代だからこそ、理性と結びついた情熱を持ち続けることが求められています。それは派手な行為ではありません。しかし、静かで持続的な態度こそが、民主主義を支える最終防衛線ではないでしょうか。

私たちは怒ってもよいのです。熱くなってもよいのです。ただし、その怒りや情熱を理性と切り離さないこと批判の観点を忘れず、選び直す自由を手放さないこと。それが、情報の洪水の時代に主権者として立ち続けるということなのだと思います。

そして、その姿勢をあきらめない限り、私たちは決して無力ではありません。

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