近年、日本ではSNSに対する規制を求める声が急速に強まっています。
誹謗中傷、デマ、陰謀論などが拡散する問題は確かに存在します。そのため、SNSの影響力が大きくなるにつれ、「一定のルールが必要ではないか」という議論が出てくること自体は、決して不自然なことではありません。
しかしその一方で、どうしても気になる「ある矛盾」があります。
それは、既存のテレビ言論に対する信頼が低下しているにもかかわらず、SNSだけを問題視する議論が目立つことです。
テレビ言論の信頼はなぜ揺らいでいるのか
これまで日本では、テレビは最も影響力のある情報メディアでした。
しかし近年、テレビに対する信頼は徐々に揺らいでいると言われています。
その理由としてよく指摘されるのは、次のような点です。
・特定の政治的立場に偏っているのではないかという疑念
・議論よりも印象や感情に訴えるコメント
・出演者による人格的な揶揄やレッテル貼り
こうした問題は、必ずしも一つの番組だけの話ではありません。
たとえば、「サンデーモーニング」での出演者の発言をめぐっては、政治家を暗示的に揶揄するようなコメントが議論になりました。
もちろん、テレビのすべての言論が問題だというわけではありません。
しかし、このような出来事が繰り返されると、視聴者が
「テレビの政治評論は本当に公平なのだろうか」
と感じるのは、決して不思議なことではないでしょう。
テレビは「公共の電波」を使っている
ここで重要なのは、テレビとSNSの制度的な違いです。
テレビ局は、国から免許を受けて電波を使用しています。
そして、その基本ルールを定めているのが
放送法
です。
放送法は、放送事業者に対して
・政治的に公平であること
・報道は事実をまげないですること
・多角的な論点を提示すること
などの原則を求めています。
つまりテレビは、制度上「公共的言論」であることを前提に運営されているメディアなのです。
一方、SNSは基本的に民間のプラットフォームであり、個人の言論空間として発展してきました。
この違いは、本来なら非常に重要な意味を持つはずです。
SNS規制を語る前に問われるべきこと
SNSに問題があるからといって、規制の議論をすること自体を否定する必要はありません。
しかし、その議論が説得力を持つためには、まず既存メディアが自らの信頼性を保っていることが前提になります。
もし視聴者が
「テレビは政治的に公平ではないのではないか」
「テレビの評論は感情的な批判ばかりではないか」
と感じている状態で、テレビ関係者や既存メディアがSNS規制を強く主張すれば、多くの人はこう感じるでしょう。
「まず自分たちの言論を見直すべきではないのか」
この疑問は、決して不当なものではありません。
問題は「SNSかテレビか」ではない
本来、この問題は「SNS対テレビ」という対立で考えるべきものではありません。
重要なのは、社会全体の言論空間の質です。
もしSNSにデマや誹謗中傷が多いのであれば、それは改善すべきです。
しかし同時に、テレビ言論にも
・印象操作
・感情的なレッテル貼り
・知的誠実さを欠くコメント
があるのであれば、それもまた見直される必要があります。
言論空間の健全性とは、すべてのメディアに共通して求められるものだからです。
必要なのは「言論空間全体の議論」
SNS規制の議論が本当に意味を持つためには、もっと広い視点が必要だと思います。
それは、
・SNS
・テレビ
・新聞
・ネットメディア
を含めた、社会全体の言論空間のルールをどう考えるかという議論です。
特定のメディアだけを問題視するのではなく、すべてのメディアに対して
・公正さ
・事実に対する誠実さ
・知的な議論の姿勢
を求めていく必要があります。
おわりに
SNSは確かに問題を抱えたメディアです。
しかし、それはテレビが常に信頼されていることを意味するわけではありません。
むしろ現在起きているのは、
テレビの信頼低下とSNSの拡大が同時に進んでいる現象です。
この状況の中でSNS規制だけを議論しても、社会の納得は得られないでしょう。
まず必要なのは、すべてのメディアを含めた言論空間のあり方を冷静に見直すことです。
テレビもSNSも、どちらも社会に大きな影響力を持つメディアです。
だからこそ私たちは、特定のメディアだけを問題視するのではなく、言論空間全体の公平性と信頼性をどう確保するのかを考えていく必要があるのではないでしょうか。
