テレビ言論はここまで劣化したのか――「サンデーモーニング」発言が示す深刻な病理

日曜日の朝に放送されている報道番組
サンデーモーニング
での出演者の発言を聞き、私は率直に言って驚きました。
その出演者は、
高市早苗
氏について次のように語りました。
「いまの日本人は神通力を求めている。本当に神通力を持ったリーダーを求めている。高市さんを見ていると、神通力を持った動物に似ている。動物の名前は言いませんが、日本人が古来から奉っているある動物に似ている。見たらわかりますよ。」
さらに
小池百合子
東京都知事と並んでいる写真に触れながら、「まさにそういう感じ」と語りました。

この発言を聞いて、まず感じたのは「これは本当にテレビの言論なのか」という疑問です。
率直に言えば、政治的論評というより、人格を揶揄する低レベルな嘲笑に近い発言だからです。

政策批判ではなく「人格を揶揄する言い方」

民主主義社会において、政治家に対する厳しい批判は当然のことです。
しかし、本来の政治批判とは、
・政策の内容
・政治理念
・判断や行動
について論じるものです。

ところが今回の発言は、そうした政治的論点にはほとんど触れず、「ある動物に似ている」と暗示することで、視聴者の想像に委ねた嘲笑を誘っています。
しかも発言者は「動物の名前は言いません」と述べています。
これは一見すると配慮のようにも聞こえますが、実際には侮辱のニュアンスだけを残して責任を回避する言い方です。
正面から政策を批判するのではなく、暗示的な揶揄で印象を操作する。
こうした手法は、知的な政治評論とは到底言えません

「日本人は神通力を求めている」という乱暴な決めつけ

さらに見過ごせないのは、発言の前提となっている次の言葉です。
 「いまの日本人は神通力を求めている」
これはあまりにも乱暴な一般化ではないでしょうか。

有権者が政治家を評価する基準は、
・経済政策
・安全保障
・社会政策
・リーダーシップ
など様々です。

それにもかかわらず、日本人の政治意識を「神通力を求める心理」として一括りにしてしまうのは、有権者そのものを軽視する見方にもなりかねません。
民主主義の主権者は国民です。
その国民の判断を、このように単純化して語ること自体、極めて軽率な発言と言えるでしょう。

テレビ言論の劣化という問題

問題は、この発言が個人のSNSではなく、全国放送のテレビ番組で行われたという点です。
TBS系列の長寿番組である
「サンデーモーニング」
は、長年にわたり社会問題を論じる番組として知られてきました。
その番組で、
・政治家を動物に例える
・しかも名前を伏せて想像させる
・視聴者の嘲笑を誘う
という発言が、特に問題視されることもなく放送される。

もしこれが逆の政治的立場の人物による発言であったなら、メディアは厳しく批判するのではないでしょうか。
そうであるならば、メディア自身もまた、同じ基準で自らの言論を律するべきです。

日本のテレビ言論が抱える「傲慢」

ここで感じるのは、日本のテレビ言論のある種の傲慢さです。
テレビの出演者の中には、いつの間にか
・自分たちは社会を啓蒙する側であり
・視聴者はそれを聞く側である
という無意識の前提を持っているように見えることがあります。
しかし、視聴者は決して「教えられる存在」ではありません。
主権者である国民です。

その国民に向けて発信する言論が、人格的な揶揄や嘲笑に依存するものであるならば、それはもはや公共的言論としての品位を失っていると言わざるを得ません。

必要なのは「嘲笑」ではなく「論争」

政治言論に必要なのは、人格攻撃ではありません。
必要なのは、
・政策をめぐる議論
・価値観の対立の整理
・論理による説得
です。

嘲笑は議論を深めません。
むしろ社会の分断を広げるだけです。
テレビという大きな影響力を持つメディアが、そうした低次元の言論に流れてしまうなら、日本の政治議論の水準そのものが下がってしまいます。

おわりに

今回の発言は、単なる一つの失言として片付けるべき問題ではないように思います。
むしろそこには、日本のテレビ言論が長年抱えてきた劣化の問題が象徴的に表れているのではないでしょうか。
政治家を批判することは必要です。
しかし、その批判はあくまで政策や理念に向けられるべきものです。
人格的な揶揄や暗示的な嘲笑に頼る言論は、政治家を貶めるだけでなく、社会全体の議論の質を引き下げます
テレビが公共的な言論の場である以上、そこで語られる言葉には最低限の節度と知性が求められます。
今回の発言は、その基本がいま改めて問われていることを示しているのではないでしょうか。

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