2024月正月に発生した能登地震の避難所における一場面を紹介したSNSの投稿が話題になりました。
自衛隊の入浴支援に対して被災者が頭を下げ、自衛隊員もまた頭を下げ返す――その光景に、多くの日本人が誇りと共感を覚えました。一方で、海外メディアはこれを「理解できない」と報じたとされます。
このとき、私たちはこう言ってしまいがちです。
「理解できなくていい。これが私たちの国だ」
しかし、本当にそれでよいのでしょうか。
本稿では、この問題を「内向きナラティブ」と「外向き説明責任」という視点から考察します。
内向きナラティブとしての「美しい日本」
この種の言説が人々の共感を集める理由は明確です。
それは「美しい日本」という物語、すなわち内向きナラティブにあります。
・被災者と支援者が対等に礼を尽くす
・極限状況でも秩序と敬意を保つ
・相互に頭を下げ合うという象徴的行為
これらは、日本社会に根付く「相互敬意」や「関係性の対称性」を端的に表しています。
こうしたナラティブは、不安な状況において人々の心を支え、共同体の一体感を強める役割を持っています。
したがって、「これが私たちの国だ」という言葉自体には、一定の合理性があります。
「理解できなくていい」がもたらす思考停止
問題は、その先にあります。
「理解できなくていい」という言葉は、共感を生む一方で、説明の放棄を意味します。
異文化理解が容易でないのは事実です。しかし、
・困難であること
・説明しなくてよいこと
は全く別です。
説明を放棄すれば、
・誤解や偏見が固定化される
・日本文化が正確に伝わらない
・外部との対話が途絶える
といった事態を招きます。
短期的な安心感と引き換えに、長期的な孤立を選んでしまう危険性があるのです。
外向き説明責任という視点
そこで必要となるのが、外向き説明責任です。
これは、自国の文化について「なぜそうするのか」を言語化し、他者に伝える姿勢を指します。
例えば今回のケースでは、次のように説明できます。
・日本では感謝は上下関係ではなく関係維持の行為である
・被災者であっても「迷惑をかけている」という意識が働く
・自衛隊も「奉仕者」として振る舞う文化がある
つまりこれは、
👉「上下ではなく、相互に負い目と敬意を持つ文化」
と整理することができます。
このように翻訳することで、異文化間の理解は大きく前進します。
ナラティブと説明責任の両立
重要なのは、ナラティブを捨てることではありません。
・内向きには共感を支える物語として機能させる
・外向きには説明可能な言語へと変換する
この二層構造こそが理想です。
ナラティブに閉じるのではなく、そこから一歩踏み出して説明する。
その姿勢が、文化の成熟度を示すのではないでしょうか。
おわりに
「理解できなくていい」と言った瞬間、文化は守られるかもしれない。
しかし同時に、それは他者に届く可能性を閉ざしてしまう。
誇りとは、閉じることではなく、語れることである。
説明する努力をやめない限り、その文化は孤立せず、むしろ広がっていく。
【豆知識】ナラティブとは何か?
ナラティブ(Narrative)とは、「物語」や「語り」を意味する言葉で、単なる事実の羅列ではなく、語り手の価値観や視点によって意味づけられたストーリーのことを指します。社会問題や政治の分野では、人々の認識や感情に影響を与える「物語の枠組み」として用いられます。

