『外国人の受入れ・共生に関する関係閣僚会議』
平成30年に政府内に設けられた『外国人の受入れ・共生に関する関係閣僚会議』では、「一定の専門性・技能を有する新たな外国人材の受入れ及び我が国で生活する外国人との共生社会の実現に向けた環境整備」が目的とされていて、「外国人が、日本で、そして地方で「働いてみたい」、「住んでみたい」と思えるような国民と外国人の双方が尊重し合える共生社会を実現する」ことが謳われています。
そして、令和4年には、「外国人との共生社会の実現に向けたロードマップ」が策定されています。
「外国人との共生社会の実現に向けたロードマップ」で示された「目指すべき外国人との共生社会のビジョン(3つのビジョン)」について
この三つのビジョンとは、「〇安全・安心な社会 〇多様性に富んだ活力ある社会 〇個人の尊厳と人権を尊重した社会」です。
これらは三つとも、日本が外国人の受け入れを増大させようとする・しないに関係なく、誰もがそうあって欲しいと願うあるべき未来像に違いない、と思うのですが、でも、私には、情熱をかきたてるものがほとんど感じられないのです。
「なぜなんだろう?」と自分なりにあれこれ考えてみたところ、「安全・安心な社会」にしても「個人の尊厳と人権を尊重した社会」にしても、
特に後者の「個人の尊厳と人権の尊重」については、日本国憲法(昭和22年5月3日施行)の三大原則の一つであるにもかかわらず、日本国憲法が施行されてから70年以上経たこんにちにおいても、
例えば、『令和3年版 人権教育・啓発白書』(法務省・文部科学省 編)には、「人権課題の生起がやむことはなく、近年の急速な情報通信技術の進展や近時の新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、令和2年度においては、特に、インターネット上の人権侵害、新型コロナウイルス感染症に関連した偏見や差別、虐待等が関心を集めることとなった。」と記述されていますし、
特に、子どもの人権に関しては、「小・中・高等学校における、暴力行為の発生件数は……依然として憂慮すべき状況が見られ、」また、「いじめによる重大な被害が生じた事案も引き続き発生しているなど、教育上の大きな課題となっている。」「さらに、全国の児童相談所における児童虐待に関する相談対応件数は令和元年度には……これまでで最多の件数となっている。」と報告されています。
個人の尊厳と人権の尊重の完全な実現・達成は、半永久的に追い求め続けなければならないものなのかもしれません。
角度を変えて見れば、「〇安全・安心な社会 〇多様性に富んだ活力ある社会 〇個人の尊厳と人権を尊重した社会」は、「これからの日本社会を共につくる一員として・外国人を含め」という点を別にすれば、何ら目新しくないビジョンであり、
また、あえてキツイ言い方をすれば、そうあって当然なのに現実はそうなっていない、つまり、マイナスをゼロに戻そうとするだけビジョンでしかないとも言えそうです。
ビジョンの一つ「多様性に富んだ活力ある社会」について
「外国人を含む全ての人が社会に参加し、能力を最大限に発揮できる、多様性に富んだ社会」については、基本的には賛成なのですが、物足りない・補強する必要がある、と考えています。
それは、今現在の、行き過ぎた自由競争による弱肉強食型の競争社会を是正するのかしないのか、明らかにされていないからです。
例えば、全ての人が社会に参加し、各々の分野で能力を最大限に発揮することができるようになったとしても、他者との競争の結果がいわゆる勝者総取りであっては、多数派の人々にとって幸福な社会であるはずがないですよね!
日本経済新聞(WEB版)の2021年12月27日付けの記事「世界の超富裕層1%、資産の37%独占 コロナで格差拡大」によれば、「日本は上位10%の資産が57.8%でそのうち最上位1%は24.5%を占めた。下位50%は5.8%だった。報告書は日本の富の分布について「欧州ほどではないが非常に不平等だ」と指摘した。1980年代から収入格差が広がっている」そうです。
実現しようとする「多様性に富んだ活力ある社会」が、富の偏在の改善には無関係なものであれば、羊頭狗肉ではないでしょうか?
ちなみに、参政党による日本の目指すべき姿「新しい国づくり10の柱」のほうが、よっぽど情熱をかきたてられるように思います。
そもそも、外国人にとって、今の日本は移民としてやってくる(移住する)のに値する国なのか?
外国人にとって、日本は観光旅行先としては魅力のある国の一つであることは間違いないでしょうね。また、富裕層にとって、外国流の長期バカンスとして滞在する魅力ある保養地が少なからずある国の一つでもあるようです。特に、円安が進んでいる今、観光旅行を兼ねた買物先としての魅力が増しているようですね。
けれども、国外に移住する候補先国としての魅力はどうなのでしょうか?
既に今から8年前、作家・ジャーナリストの山田順氏が日本経済新聞WEB版への寄稿記事で、次のように述べておられます。少々長いですが、引用いたします。
引用元:『移民賛成・反対論争は無意味。受け入れようと受け入れまいと、移民などやって来ない!』(山田順 作家、ジャーナリスト 日本経済新聞WEB版2014/12/13(土))
「富裕層が求めているのは、有利な税制、投資ができる自由な金融環境、子弟のための高度な教育環境、ハイライフを送れる高度な衣食住環境の4つである。これがそろっていないと、彼らは来ない。日本にはこの4つともない。日本は、税金は高いうえ、金融サービスは世界最低で、英語はほとんど通じない。食文化は世界でも有数だが住環境はよくない。つまり、日本は、富裕層にはほとんど魅力のない国である。かろうじて中国の富裕層の一部が、環境のよさを求めて来るかもしれない。しかし、欧米富裕層は、間違ってもやって来ないと、私は思う。」
「高度人材も絶望的だ。高度なスキルを持つ技術者や科学者、そして起業家は、まずアメリカを目指す。それは、待遇のよさ、研究・労働環境のよさ、ハイレベルの教育環境では、アメリカが世界一で、彼らをどこの国よりも歓迎しているからだ。これはスポーツでも同じ。イチローもマー君も行ってしまった。その逆で、日本のプロ野球に来る人材を見ればわかるように、日本に来るのは2、3流人材だけである。」
「ホワイトカラー層に関して言うと、外国人はまず日本企業では働かない。なぜなら、成功報酬でなく年功給であること、あまりにも残業が多く、ジョブディスクリプションが明確でないため公私の境目がないからだ。これは、欧米人ばかりか中国人やインド人であっても耐えられない環境だから、エリートホワイトカラー層の移民など、まず来ない。」
「(途上国の若者たちは、)まず英語を学び、成績が優秀なら真っ先にアメリカを目指し、続いてイギリス、オーストラリア、カナダなどの英語圏、フランスやドイツなどの欧州を目指している。アジアでは、日本よりシンガポールや香港だった。つまり、日本に来るとしたら、彼らのなかでも3番手以下の層だけだ。」
「建設労働者は来そうだと思う人がいるかもしれないが、日本よりドバイやカタールなどのほうが、日本より稼げる。最近は、新興国の発展が目覚ましいから、建設労働の仕事は日本以上にある。それ以外の単純労働はどうだろうか? たとえばフィリピンは世界中にメイドを輸出しているが、彼女たちはやはり、富裕層が多く待遇がいいシンガポールや香港、ハワイ、カリフォルニア、フロリダ、イギリス、スイスなどに真っ先に行く。日本はもっとメイドや介護などのサービス労働者を受け入れるべきだという話があるが、受け入れてもまず来ない。最近は、外国人実習制度による単純労働者や、不法移民でさえ日本を目指さなくなっている。」
私の考え
外国人が喜んで日本に出稼ぎや移民としてやってくるという一種の “上から目線” でいるのは、まだ日本社会の各界で実権を握っている高目の年齢層の人たちに、昔の感覚が抜け切らないでいる人たちが多いからではないでしょうか?
まず、日本人、特に将来世代の若者ほどその心に響く、そんな日本の魅力的な新しい国づくりの未来像を提示した上で、
次に、日本が大好きな外国人なら大歓迎!、移民として受け入れる十分な体制を整えるので、一緒に国づくりをしよう!
これが、日本が真に外国人にも魅力のある国として「外国人との共生社会」を実現させる望ましい手順ではないでしょうか?
日本社会の生産年齢人口の急減状況をいわば脅しの材料にして「もはや移民を相当な人数規模で受け入れるしかない」と迫るプレゼンテーションは、国民の相当数にとってはむしろ逆効果では? とさえ私は感じています。
皆さんはどうお考えでしょうか?