私たちが日常で当たり前のように使っている「日本語」には、大きく分けて二つの系統があります。ひとつは中国大陸から入ってきた漢語を中心とする外来のことば。そしてもうひとつが、縄文・弥生時代から息づき、今もなお私たちの口から自然に紡がれている「やまとことば」です。
「やまとことば」は単なる古語ではありません。それは自然と人との関わりを映し出す鏡であり、日本人の感性や世界観を育んできた根源的な言葉なのです。本記事では、「やまとことば」の魅力や特徴をひも解きながら、日本文化とともに守り、未来へと継承していく大切さを考えていきます。
「やまとことば」とは何か
「やまとことば」とは、漢字や外来語が入ってくるよりずっと以前から存在していた日本固有の言語です。和語とも呼ばれ、私たちの日常会話に今も数え切れないほど残っています。
例えば──
みる(見る)
はなす(話す)
よい(良い)
やま(山)
かわ(川)
うみ(海)
あめ(雨)
ゆき(雪)
おはよう
こんにちは
いただきます
これらはどれも「やまとことば」。私たちが日常的に使う最も身近な日本語なのです。
音に宿る意味──母音「あいうえお」の不思議
日本語の最大の特徴のひとつは、わずか五つの母音「あ・い・う・え・お」で成り立っている点にあります。そして、この母音には単なる発音記号以上の “意味” や “響きの印象” が宿ると考えられてきました。
まず、言語学の分野では「音象徴(sound symbolism)」と呼ばれる研究があります。これは、言葉の音が偶然ではなくある程度意味や印象と結びつく傾向を持つという考え方です。例えば日本語母語話者を対象にした調査では、「ア・ウ・オ」の音は「大きい・厚い・幅広い」といった印象を与えやすく、「イ・エ」は「小さい・細い・鋭い」と感じられやすいという結果が得られています。また、日本語を含む複数言語の比較研究でも、前舌母音(イ・エ)が “小ささ” と、後舌母音(ア・オ・ウ)が “大きさ” と関連づけられる傾向が見られます。つまり、母音の響きは私たちの感覚やイメージ形成に無意識のうちに影響を与えているのです。
さらに興味深いのは、日本語母語話者は秋の虫の声を「雑音」としてではなく「意味ある音」として脳で処理する傾向が強いことが、脳科学的な研究で示されている点です。近赤外分光法(NIRS)を用いた調査では、日本語話者の多くが虫の声を “言語を処理する脳の領域” で捉えていることが分かりました。これは、私たちが日常的に「声」と「自然音」を近いものとして受け止めている文化的背景を示すものとも言えるでしょう。
一方で、「あ=開く」「う=閉じる・生む」「い=生命」「え=分岐」「お=偉大」といった形で、五母音それぞれに固定的な意味を割り当てる考え方もあります。これは言霊思想や真言密教における言語観に由来し、空海の『声字実相義』などでは音そのものが宇宙や生命と直接つながると説かれています。現代でもスピリチュアルな文脈で紹介されることがありますが、こちらは科学的定説というよりも、日本文化に根づいた思想的・宗教的な解釈として理解すべきものです。
このように、「母音には意味が宿る」という考えには、学術的な裏づけと思想的な伝統の両方が存在します。前者は実験や統計的調査によって示される「音と意味のゆるやかな結びつき」、後者は日本独自の「言霊文化」としての深い精神性です。両者はアプローチは異なりますが、いずれも日本語を話す私たちが、音の響きに特別な感受性を持っていることを浮き彫りにしています。
母音を声に出すだけで心が和み、自然や人とのつながりを意識できるのは、やまとことばに宿る力の一端なのかもしれません。
自然と心が共鳴することば
「やまとことば」を話すとき、私たちは無意識のうちに自然と調和しているといわれます。たとえば秋の夜、虫の声に耳を澄ませると、不思議としんみりとした気持ちになります。これは、日本語を母語とする人々の脳が「虫の声」を雑音ではなく「意味ある音」として処理するためだとする研究もあります。
つまり、日本語の「やまとことば」には、自然を感受し、そこに心を寄せる働きが組み込まれているのです。
文化を受け継ぐ「ことば」の力
「いただきます」や「おかえりなさい」といった挨拶は、単なる社交辞令ではなく、自然や人への感謝を込めた表現です。これらは外来語ではなく「やまとことば」であり、日々の暮らしの中で人と人、そして人と自然を結びつけてきました。
言葉は文化そのものです。「やまとことば」を失えば、日本人が古来より育んできた自然観、心の在り方もまた薄れてしまうでしょう。
やまとことばがもたらす心理的効果
近年の心理学や言語学の研究では、「やまとことば」を声に出すことで心が落ち着き、安心感が得られるといわれています。柔らかく母音を多用する響きは、人間の感情を和らげ、相手との関係を円滑にします。
たとえば、英語の「Good morning」よりも、日本語の「おはよう」の方が、響きとして丸く柔らかい印象を与えます。こうした音の特徴が、私たち日本人の心の在り方にまで影響を与えているのです。
やまとことばを守り継ぐために
現代社会では外来語やカタカナ語があふれ、「やまとことば」がかすみがちです。もちろん新しい言葉を取り入れる柔軟性も日本語の魅力ですが、一方で私たちは自国の言葉の根を忘れてはなりません。
【守り、継承するための実践例】
①日常会話で積極的に使う
たとえば「リラックス」ではなく「くつろぐ」、「エネルギー」ではなく「ちから」と言い換えるだけでも、感覚は変わります。
②子どもに伝える
絵本や昔話の中には、豊かな「やまとことば」がちりばめられています。家庭で読み聞かせることは、自然に継承する第一歩です。
③日本の四季とともに味わう
「花見」「月見」「紅葉狩り」など、やまとことばで彩られた行事を意識することで、言葉と自然を結びつけて体験できます。
やまとことばが育む「共感の力」
現代社会では効率やスピードが重視され、コミュニケーションが機械的になりがちです。そんな時代だからこそ、柔らかな「やまとことば」を口にすることが、人と人との心を近づける力になります。
「ありがとう」「おつかれさま」「おだやか」「なごむ」──これらの響きは、耳にするだけで心が温まります。まさに、ことばそのものが「癒し」となっているのです。
まとめ──未来に届けたい「ことばの文化」
「やまとことば」は、単なる古語でも美しい響きの言葉でもなく、日本人の心と自然観を映し出す文化遺産です。母音に宿る意味、自然との調和、心を結びつける力。これらを受け継いでいくことは、私たちが自分自身の根を守ることでもあります。
外来語が溢れる時代だからこそ、もう一度「やまとことば」に耳を澄まし、その響きを暮らしの中で育ててみませんか。
それはきっと、未来を生きる世代にとっての「心の財産」になるはずです。