「多文化共生」は本当に“絶対に良いこと”なのでしょうか――外国人受け入れ政策を考えるための基礎的な視点

はじめに――まず大切な前提の確認です

はじめに誤解がないようにお伝えしておきます。
日本国憲法における外国人の人権保障については、
「権利の性質上、日本国民のみを対象としていると解されるものを除き、外国人にも及ぶ」
とする、いわゆる「性質説」が確立しています。私はこの考え方にまったく異論はありません。
適法に来日し、適法に在留している外国人に対する偏見や差別は、明確に否定されるべきものです。
この点は、まずしっかり確認しておきたいと思います。

それでも「多文化共生」に違和感が生まれている理由

近年、日本の政治や行政は「多文化共生」という言葉を繰り返し使っています。
その背景には、次のような考え方があります。
・日本は人口減少で衰退していく
・だから外国人(移民)に頼るしかない
・日本は外国人に「選ばれる国」にならなければならない

一見すると、もっともらしく聞こえます。
しかし問題は、その結果として日本国民よりも外国人を優遇しているように見える政策が次々と進められている点です。

そのため、2025年の今日では、「多文化共生」という言葉の美しいイメージと、現実の政策内容との間に、大きなズレが生じています。
多くの国民が「何かおかしい」「話が一方的ではないか」と違和感や反発を感じるようになっているのです。

草花の混植にたとえて考えてみましょう

ここで、少したとえ話をしてみます。
世の中には、さまざまな草花があります。
どの花が好きかは人それぞれで、花の間に優劣があるわけではありません。
この点は、人間の文化についても同じです。

しかし、植物の世界では「混植」について重要な知識があります。
いわゆる「コンパニオンプランツ」と呼ばれる、相性の良い組み合わせもあれば、
一緒に植えるとお互いの成長を妨げてしまう、相性の悪い組み合わせもあります。
つまり、
・違う植物どうしには「相性の良し悪し」がある
・混ぜても大丈夫な場合と、慎重でなければならない場合がある
ということです。

これは文化についても同じではないでしょうか。
異なる文化どうしの共生が比較的容易な場合もあれば、
十分な準備と配慮がなければ、深刻な摩擦が生じる場合もあるはずです。

「多文化共生」は絶対善ではありません

ここで大切なのは、
「多文化共生」という言葉は、決して絶対に正しい魔法の言葉ではない
という事実です。

にもかかわらず、「多文化共生」という響きの良い言葉が、
まるで反対すること自体が悪であるかのように使われてしまう場面が見られます。

しかし、本来議論されるべきなのは、
・それは本当に日本にとって必要なのか?
・国民の生活や社会の安定にどんな影響があるのか?
という、きわめて現実的な問題
です。

外国人の定住化・移民化政策で本当に必要な三つの条件

自国への外国人の定住化・移民化を容認、あるいは前提とする政策は、
次の三つの条件を満たして初めて、慎重に進められるべきものです。

① 自国にとって本当に必要不可欠なのかという視点
「なんとなく必要そうだから」では不十分です。
どの分野で、どれほど必要なのかを、具体的に示す必要があります。
② 十分な国民的議論を経ていること
移民政策は、社会の形そのものを変えます。
だからこそ、一部の政治家や官僚だけで決めてよい問題ではありません。
③ 十分な準備をした上で、慎重に実施すること
言語、教育、治安、社会保障など、多くの分野で事前の準備が不可欠です。
準備不足のまま進めれば、トラブルが起きるのは当然です。

おわりに――考えること自体が「差別」ではありません

外国人を差別してはいけないことと、
外国人受け入れ政策を批判的に考えることは、
まったく別の話です。

「多文化共生」という言葉に流されず、
本当に必要なのか
、どのように進めるべきなのか?を冷静に考えることは、
民主主義社会に生きる私たちの正当な権利であり、責任でもあります。

絶対善のように語られる政策ほど、
一度立ち止まって考える姿勢が、今こそ求められているのではないでしょうか。

想定される反論へのQ&A

Q1.「多文化共生」に疑問を呈するのは、外国人差別ではありませんか?
A.違います。
外国人を差別してはならないことと、
外国人の定住化・移民化を
容認あるいは前提とする国家政策を批判的に検討することは、別の問題です。
政策の是非を問うことは、民主主義社会では正当な行為です。

Q2.日本は人手不足なのだから、移民を受け入れるしかないのでは?
A.「どの分野で、どの程度必要なのか」という具体的検証が不可欠です。
人手不足と一言で言っても、業種・地域・期間によって事情は異なります。
「移民しかない」という結論を先に置くのではなく、
自動化、待遇改善、国内人材活用などの選択肢も含めた比較が必要です。

Q3.「外国人に選ばれる国」にならないと、日本は衰退するのでは?
A.国民より外国人を優先する国家は、長期的に安定しません。
まず国家が守るべきなのは、自国民の生活と社会の安定です。
外国人にとって魅力的であることと、
国民が納得できる制度であることは、同時に満たされなければなりません。

Q4.文化の違いは、時間が経てば自然に解消されるのでは?
A.自然に解消されるとは限りません。
言語、宗教、価値観、法意識などの違いは、
適切な制度設計と丁寧な運用がなければ、むしろ摩擦を深めます。
「時間が解決する」という考え方は、政策としては無責任です。

Q5.慎重論は「排外主義を助長する」のでは?
A.逆です。
拙速で準備不足の受け入れこそが、
トラブルや不満を生み、結果的に排外感情を強めます。

慎重な制度設計は、国民と外国人の双方を守るために必要です。

Q6.結局、この記事の主張は何ですか?
A.次の二点です。
①日本の政治・行政が唱える「多文化共生」は、断じて絶対善ではない
②外国人の定住化・移民化政策は
 ・必要不可欠性
 ・国民的議論
 ・十分な準備
 を満たした上で、慎重に進めるべきである
この整理そのものが、差別でも排外主義でもありません。

※本記事についての注意書き(よくある誤読)

①本記事は「外国人差別」を肯定するものではありません。
適法に来日・在留する外国人の人権は、日本国憲法の解釈上も保障されるべきものです。
その点に異論はありません。

②「多文化共生」に疑問を呈すること=排外主義、ではありません。
本記事が論じているのは、外国人そのものではなく、
日本の政治・行政が進める「移民・定住化を
容認あるいは前提とした政策の在り方」です。

③「外国人を受け入れるな」と主張している記事ではありません。
受け入れの是非を、
・必要性
・国民的議論
・十分な準備
という条件から慎重に考えるべきだ、という立場です。

④「文化に優劣がある」と言っているわけではありません。
文化の違いに優劣はありませんが、
共生の難易度や必要な準備に差がある、という現実を指摘
しています。

⑤人道や思いやりを否定している記事ではありません。
人道を重視するからこそ、
拙速で無計画な政策が生む摩擦や不幸を避ける必要がある、という問題提起
です。

⑥考えること自体を否定する議論には与しません。
国家の形を変える政策について、
賛成・反対を含めて冷静に議論することは、民主主義社会では当然の行為
です。

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