「外国人との共生」か「日本人優先」か――その二択に、違和感を覚える理由

最近の選挙結果や世論の動きを受けて、あるマスコミは次のような構図で論じています。
在日外国人問題が争点化し、日本人優先を掲げる政党が支持を伸ばしている。一方で、人手不足の現実を前に、外国人との共生は不可避だという反論もある――。
「外国人との共生か、日本人優先か」。これが2026年の論点だ、と。

たしかに分かりやすい整理です。
しかし読み進めるうちに、この二択そのものに、どこか居心地の悪さを覚えた人もいるのではないでしょうか。

二択に整理した瞬間、見えなくなる現実

「共生か、日本人優先か」という問いは、実は非常に強い単純化です。
この問いが前提としているのは、
・現行の外国人(移民)政策や外国人との共生政策を基本的に肯定し続けるか
・それとも、それらを否定して日本人優先に切り替えるか
という構図です。

けれども、現実の社会問題はそんなに割り切れるものでしょうか。
人手不足も、人口減少も、長年にわたって積み重なってきた構造的課題です。
一つの政策で一気に解決する「特効薬」が存在しないことは、多くの人がすでに感じ取っているはずです。

だからこそ本来は、
「これまでの政策は本当に妥当だったのか」
「見直すべき点はどこなのか」
という検証が必要なはずですが、二択のフレームに当てはめた途端、その作業は後景に追いやられてしまいます。

「現行政策を見直す」ことと「共生を否定する」ことは別の次元の話

現行の外国人(移民)政策には、明らかに歪みがあります。
制度設計の甘さ、結果として生じている不公平感、現場への過度な負担――これらは感情論ではなく、政策論として冷静に検証されるべき問題です。

同様に、現在進められている「外国人との共生政策」についても、
その理念とは別に、具体的な制度や運用のあり方を見直す必要があるでしょう。
教育現場や地域社会で生じている摩擦や負担が、必ずしも十分に考慮されてきたとは言えないからです。

しかし、ここで大切なのは、
「現行の共生政策を見直す」ことと、「共生という考え方そのものを否定する」ことは同義ではない
という点です。
現行の政策や制度を点検し、修正や是正を求めることは、
外国人排斥や断絶を志向する態度とは別の次元の話です。
この区別が曖昧になると、議論は一気に感情論へと傾いてしまいます。

見直しを求める声が、極端な立場にすり替えられるとき

政策の見直しを求める声が、
「排外主義だ」「共生を否定する危険な考えだ」
と一括りにされてしまうと、人々は本音を語らなくなります。
一方で、日本人の生活不安や教育・労働現場の負担を訴える声が、
知らないうちに外国人全体への敵意と混同されることもあります。

こうして議論は、
・現行政策を無条件に肯定する側
・すべてを拒絶する側
という両極に引き裂かれ、肝心の「どう見直すか」という話が置き去りにされてしまいます。

本当に向き合うべき問いは、もっと地味で複雑だ

本来問われるべきなのは、もっと具体的で、あまり派手ではない問いです。
・どの分野で、どの程度の人手不足が本当に生じているのか
・日本人が働きにくくなっている要因は、賃金や労働条件にないのか
・外国人労働者の受け入れが、安易な低賃金構造の固定化に使われていないか
・教育・医療・地域コミュニティの受け入れ能力は、現実的な範囲を超えていないか

これらは「賛成か反対か」で答えが出る問題ではありません。
だからこそ、二項対立で語れば語るほど、現実から離れていきます。

極論に流れないという、静かな選択

感情的で分かりやすい言葉は、短期的には安心感を与えます。
しかし、社会の持続性を考えるなら、必要なのはもっと地味で、手間のかかる選択です。
・おかしな優遇や制度の歪みは正す
・日本人の生活基盤や労働環境を立て直す
・現行の外国人政策・共生政策を現実に即して見直す
・そのうえで、すでに共に生きている人々とは、実務的で無理のない共存の形を探る

これは「どちらかを選ばない曖昧さ」ではありません。
むしろ、現実を直視したうえでの最も理性的な態度だと言えるでしょう。

「外国人との共生か、日本人優先か」という問いに、すぐ答えを出さなくてもいい。
まず、その問いの立て方自体が適切なのかを考えること――
それこそが、今の社会に求められている冷静さなのかもしれません。

\ 最新情報をチェック /

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました