はじめに
前回の税制編では、国家を超える影響力を持つ巨大資本や超富裕層に対し、日本の税制が十分に向き合えているのかを考えました。
今回は、その続きとして「規制」の問題を取り上げます。
規制という言葉には、自由を妨げるもの、経済活動を萎縮させるもの、という否定的なイメージがつきまといがちです。
しかし本来、規制とは力の集中を放置しないための装置であり、民主主義と自由を実質的に守るための手段でもあります。
「民間だから自由」という前提が揺らいでいる
近代法は、
・国家は強大であるがゆえに制限されるべき存在
・民間は原則として自由である存在
という前提に立って設計されてきました。
しかし21世紀の現実は、この単純な図式を成り立たなくしています。
現代では、形式上は民間でありながら、社会のルールや人々の選択を左右するほどの力を持つ主体が数多く存在しています。
プラットフォームが握る「見えない支配」
代表的なのが、巨大ITプラットフォームです。
検索結果の順位、表示される情報、アカウントの停止や復活――。
これらは一企業の判断でありながら、実質的には言論空間や経済活動の方向性を左右しています。
利用者は「同意」してサービスを使っている建前ですが、
生活や仕事に不可欠な基盤となった以上、真に自由な選択とは言い切れません。
これは、契約自由や私的自治という従来の法原理だけでは捉えきれない現象です。
巨大金融が国家を上回る影響力を持つとき
金融分野でも、同様の問題が生じています。
巨大投資ファンドや金融機関の判断一つで、企業や国家の経済状況が大きく左右されることは、もはや珍しくありません。
市場の評価は本来、中立的なものとされてきました。
しかし、評価基準そのものが特定の価値観や政策志向を反映するようになると、
それは事実上の政策誘導となります。
国際NGOとESGが持つ「規範の力」
近年注目されているのが、国際NGOやESG(環境・社会・ガバナンス)を通じた圧力です。
これらは人権や環境といった重要な価値を掲げており、その理念自体を否定するものではありません。
しかし問題は、
・誰が基準を決め、
・誰が評価し、
・誰が責任を負っているのか、
が必ずしも明確ではない点にあります。
民主的な手続きを経ずに形成された基準が、企業行動や国家政策を実質的に拘束する場合、それは「善意による統治」とも言える現象です。
「事実上の統治力」をどう捉えるか
ここで重要なのは、
・国家か民間か、
・公的か私的か、
という形式的区分ではありません。
問うべきは、
その主体が、どの程度、人々や社会の選択肢を制限・誘導しているのか
という点です。
法が向き合うべきなのは、肩書きではなく影響力の実態です。
規制は「自由の敵」ではない
規制を強めるというと、すぐに「統制社会」や「全体主義」を連想する声もあります。
しかし本来の規制は、力を分散させ、弱い立場の自由を守るためのものです。
巨大な影響力を持つ主体に対し、
・透明性を求める
・説明責任を課す
・恣意的な判断に歯止めをかける
これらは、自由を奪うことではなく、自由を現実のものにするための条件だと言えるでしょう。
日本に求められる規制の視点
日本においても、
・プラットフォーム規制
・金融・投資行動の透明化
・国際的規範をどう国内法と接続するか
といった課題は、すでに目の前にあります。
重要なのは、海外の基準をそのまま受け入れるのでも、感情的に拒絶するのでもなく、
日本の民主主義と法の支配をどう守るか
という視点から主体的に制度設計を行うことです。
おわりに
21世紀の課題は、
「国家が強すぎること」だけではありません。
「国家以外の力が、あまりにも強くなりすぎたこと」でもあります。
その現実を直視し、
事実上の統治力を持つ主体に、どのように法の光を当てるのか。
規制とは、その問いに対する、民主主義社会からの冷静な応答であるべきです。
次回は、情報主権編として、データと情報空間をめぐる問題を取り上げます。
国家主権は、いま「見えない形」でどのように揺らいでいるのでしょうか。
