はじめに
SNSを眺めていると、次のような言説を日常的に目にします。
「〇〇氏の予測は当たった/外れた。だから信用できない」
「どうせ裏で全部決まっている。投票しても意味がない」
「メディアは偏向している。真実は別にある」
こうした言葉には、一理ある部分もあります。
しかし同時に、予測の当否と、私たち自身の判断や責任を混同してしまっている危うさも含まれています。
本稿では、オールドメディアでも陰謀論的言説でもない、中間的な位置に立つ分析手法として知られる馬淵睦夫氏の方法論を手がかりにしながら、
・予測と判断をどう切り分けるべきか
・一般の有権者は、何を基準に考え、投票すべきか
を、できるだけ冷静に整理してみたいと思います。
馬淵氏の方法論とは何か
馬淵氏の特徴は、いわゆる「内部情報」や陰謀論に依拠するのではなく、
・公開されている一次情報
・各国の制度・利害構造
・過去の行動パターン
を突き合わせて、国家やエリート層が取り得る合理的行動の範囲を推定しようとする点にあります。
これは、学術的な国際政治学やインテリジェンス分析に近い部分を持ちながらも、厳密な理論化や検証可能性より、
・現実政治の力学
・意思決定の「癖」や「限界」
を重視する、実務寄りのアプローチだと言えるでしょう。
この方法論の妥当性と限界
(1)妥当性
この方法論が有効なのは、
・オールドメディアの断片的報道だけでは見えにくい構造
・SNSの情緒的・断定的言説が無視しがちな制度要因
を、比較的わかりやすく可視化してくれる点です。
「なぜ、その選択肢が採られやすいのか」を考える材料としては、一般人にとって非常に実用的です。
(2)限界
一方で、どれほど精緻でも、公開情報分析には限界があります。
・非公開交渉や突発的事象
・個人の感情・偶発的判断
は、原理的に読み切れません。
したがって、予測が外れること自体は、方法論の破綻を意味しない一方で、「当たった/外れた」だけで全否定・全肯定する態度も、また不健全です。
公開情報分析が外れる典型パターン
公開情報に基づく分析が外れやすいのは、主に次のような場合です。
・想定外の外部ショック(災害、戦争、急激な経済変動)
・権力内部の急激な路線転換や権力闘争
・世論の急変による政治的リスクの増大
重要なのは、
外れた理由を検証すること
であって、外れた事実だけをもって「意味がなかった」と切り捨てないことです。
予測と判断を切り分ける
ここが本稿の核心です。
私たち有権者にとって本当に重要なのは、
予測が当たるかどうか
ではありません。
どの選択肢が、自分にとって、社会にとって、どのような結果をもたらす可能性があるのかを考えることです。
そのためには、予測は「材料」として使い、
・最悪のシナリオは何か
・その確率をどう評価するか
・自分はどの結果を最も避けたいのか
を、自分の頭で考える必要があります。
※【制度上の補足】
仮に衆院選で与党が単独過半数の議席を獲得したとしても、参議院では(連立政権の組み換え等がない限り、少なくとも2028年の改選までは)少数与党である状況に変わりはありません。
したがって、衆院選で与党が3分の2以上の議席を獲得するという大勝利をしない限り、政府与党は、成立を目指す法案について、参議院で過半数を確保するために、参院野党への一定の譲歩を余儀なくされます。
この点は、「勝つ/負ける」という二分法では見えにくい、政策決定力の現実を考える上での前提条件です。
学術分析・ジャーナリズムとの位置づけ
馬淵氏の方法論は、
・学術分析ほど理論的厳密性は高くない
・ジャーナリズムほど即時性や現場性には寄らない
という意味で、その中間に位置しています。
しかしこの「中間性」こそが、
・一般人が情報を咀嚼し
・自分なりの判断を組み立てる
上で、最も実用的な地点であるとも言えます。
おわりに──判断の放棄ではなく、判断の引き受けへ
予測は外れることがあります。メディアもSNSも、完全ではありません。
それでも、私たちは選ばなければなりません。
重要なのは、
・誰かの予測に「乗る」ことでも
・全部を疑って思考停止することでもなく
限られた情報の中で、どの結果を許容し、どの結果を拒否するのかを自分で決めることです。
投票とは、未来を当てる行為ではありません。
不確実な選択肢の中から、自分が最も引き受けられる結果を選ぶ行為
です。
その判断の材料として、分析は使いこなすものであって、信仰するものではありません。
本稿が、誰かの言説を信じるためではなく、あなた自身の判断を支えるための一助になれば幸いです。

