はじめに
近年、「排外主義(xenophobia)」という言葉が、日本の公共空間やSNS、メディア論争で頻繁に使われるようになりました。
しかし、その使われ方を見ていると、本来の国際的・通説的な意味から外れた拡張的用法も少なくありません。
排外主義は、現実に深刻な人権侵害を引き起こしてきた概念です。
だからこそ、
何が排外主義で、何がそうではないのか
を冷静に区別することが不可欠です。
排外主義に該当する行動
国際的な定義に照らしたとき、排外主義とは次のような態度・行動を指します。
・外国人・外部集団であることそのものを理由に
恐怖・嫌悪・敵意を抱き、
・集団全体を一括して否定的に評価し、
・排除や不利益扱いを正当化すること
たとえば、
「外国人は本質的に危険だ」
「移民は社会を壊す存在だ」
といった一般化・断定は、典型的な排外主義です。
排外主義ではないが、誤解されがちな行動の典型例
ここからが本題です。
現在の日本では、排外主義とは言えない主張までが、しばしば「排外的」とラベリングされる状況が見られます。
しかし、それは概念の混同であり、健全な民主的議論を損なうおそれがあります。
(1)移民政策・受け入れ規模への慎重論
「無制限の移民受け入れには反対だ」
「社会保障や教育、治安への影響を検証すべきだ」
この種の意見は、排外主義ではありません。
なぜなら、問題にしているのは
・外国人の人格や価値ではなく
・政策の設計・規模・持続可能性
だからです。
移民政策は、労働市場、住宅、福祉、教育、治安と密接に関わる公共政策です。
受け入れ人数や方法について慎重論が出るのは、民主主義社会ではごく自然なことです。
(2)法の遵守を求める主張
「不法滞在は是正すべきだ」
「入国管理制度は厳格に運用されるべきだ」
これも排外主義ではありません。
ここで問題にされているのは、国籍ではなく行為(法令違反)です。
同じ行為は自国民であっても処罰対象になります。
「法の支配」を主張することと、「外国人を嫌悪すること」は、本来まったく別の次元の話です。
(3)自国社会のルールや文化の尊重を求めること
「受け入れ国の法律や社会規範は守ってほしい」
「公共空間では共通ルールを前提にした共存が必要だ」
これも排外主義とは言えません。
多文化共生とは、「すべてを無条件に許容すること」ではありません。
むしろ、最低限の共通ルールを共有することが、共生の前提条件です。
カナダやEU諸国でも、移民に対して法秩序や基本的価値の尊重を求めることは、公式政策として明確に打ち出されています。
(4)国家安全保障・治安リスクへの言及
「国際情勢を踏まえ、入国審査を慎重にすべきだ」
「組織犯罪や諜報活動への対策は必要だ」
これもまた排外主義ではありません。
安全保障や治安対策は、国家の正当な責務です。
具体的なリスクや制度的背景に基づいた議論を、
「外国人を恐れているからだ」と一括りにするのは不適切です。
排外主義かどうかを分ける決定的な境界線
重要なのは、「外国人に関する議論かどうか」ではありません。
どこに判断の根拠を置いているかです。
・国籍・出身そのものを否定しているのか
・行為・制度・影響を具体的に論じているのか
この違いは決定的です。
排外主義とは、恐怖や嫌悪を感情的に外部集団へ投影する態度です。
一方、政策論や制度論は、冷静な検討と反証可能性を前提とします。
おわりに
排外主義は、現実に存在し、警戒されるべき問題です。
しかし同時に、排外主義という言葉を拡張しすぎることもまた、別の問題を生みます。
それは、
・正当な政策論を萎縮させ
・市民の熟議を妨げ
・結果的に極端な言説だけを目立たせる
という逆効果です。
本当に排外主義を克服するためには、
概念を正確に使い、冷静な線引きを保つこと
が不可欠ではないでしょうか。
※本記事は、「排外主義」というレッテル貼りが先行し、法的・概念的な整理が置き去りにされがちな現状への問題提起として執筆しました。
続編ではさらに踏み込み、日本の法制度および国際人権法の下で、何が明確に禁止され、何が政策判断として認められているのかを整理します。
感情論ではなく、法と制度の言葉で考えたい方は、ぜひ併せてお読みください。
