選挙に強い政党、統治に弱い国家――参政党論を超えて考える日本の民主主義

はじめに——「賛成/反対」を超えて考える

私はこれまでのブログ記事を通じて、一貫して「分断を煽る単純な賛否」ではなく、その背後にある制度や構造、そして議論が歪んでいく過程そのものに目を向けてきました。
社会問題や政治問題が炎上しやすくなるとき、往々にして本来検討されるべき論点は置き去りにされ、感情的なラベル貼りだけが先行します。
その結果、問題は解決されないまま、より硬直した対立だけが残ります。

今回取り上げるのも、そうした「賛成か、反対か」という枠組みでは捉えきれない問題意識です。
Xでのポスティングを通じて警鐘を鳴らしておられる渡瀬裕哉氏による問題提起は、特定政党の是非を論じることよりも、日本の政党政治と民主主義の構造そのものに目を向ける必要性を示しているように思われました。
政治学者・丸山眞男氏(故人)の学説、とりわけ『超国家主義の論理と心理』で示された分析枠組みを手がかりに、本稿では、日本の民主主義が抱える構造的な脆弱性について考えていきます。
問題の核心は、思想の是非ではなく、政党組織の設計と権力構造にあります。

本稿で参照する丸山眞男氏の議論は、戦前日本の国家体制分析として学界で広く共有されている理解に基づくものであり、特定の現代政党を直接指したものではありません。本稿では、その理論的射程を現代政治に応用しています。問題の核心は、思想の是非ではなく、政党組織の設計と権力構造にあります。

「選挙に強い」ことと「統治できる」ことは別問題です

近年の新興政党の中には、動員力、情報拡散力、支持者の結束形成において非常に高い能力を示すものがあります。これは事実として評価すべき点でしょう。
一方で、統治にはまったく別種の能力が求められます。法案の具体化、官僚機構との調整、複雑な利害対立の調整、そして不祥事や内部対立への制度的対応——これらはいずれも地味で時間がかかり、短期的な支持には結びつきにくい作業です。

選挙に勝つための組織設計と、国家を運営するための組織設計は必ずしも一致しません。前者を過度に最適化し、後者を軽視した場合、議席数を増やしても政治の質が向上しないという事態が生じます。この非対称性は、新興政党に固有の問題というより、日本の政党政治全体が長年抱えてきた構造的課題だと考えられます。

理念の空洞化と統制強化が連鎖する危険性

政党組織が急速に拡大すると、その内実が追いつかなくなる局面が生じやすくなります。その際に起こりがちなのが、理念の抽象化と、組織内部における統制の強化です。スローガンは包括的で反論しにくい言葉へと変化し、内部からの異論や疑問は、次第に「敵対的」と受け取られやすくなります。

丸山眞男氏が『超国家主義の論理と心理』で示した重要な洞察の一つは、強固な思想が存在したから全体主義が成立したのではなく、理念が空洞化し、責任主体が曖昧になったところに、動員と服従の心理が入り込んだという点でした。中心となる価値や判断基準が欠落したまま組織だけが肥大化すると、自己点検の能力を失い、外部に敵を想定することで結束を保とうとする傾向が強まります。

参政党論は、既存政党への問いでもあります

参政党の台頭を論じる際、見落としてはならない視点があります。それは、既存政党側の停滞です。党員や支持者の意思が十分に反映されない意思決定、閉鎖的な人事、時代に即していない組織運営——こうした問題が温存されたままであれば、相対的に「選挙に強い」新興組織が支持を拡大するのは自然な流れでしょう。

この観点に立てば、問題は「参政党が特別に強い」というよりも、他の政党が自己改革を怠ってきたことにあります。特定の政党を危険視するだけでは、同様の構造が別の形で再生産される可能性を否定できません。

警鐘の正体——危惧されているのは思想ではなく構造です

渡瀬裕哉氏は、Xでのポスティングにおいて、参政党の組織的特性がこのまま拡大・定着した場合、結果として「日本終了のお知らせ」に等しい事態を招きかねない、という趣旨の強い警告を発しています。この表現自体は、意図的に危機感を喚起するための比喩であり、現時点での断定的な予言ではありません。

しかし、その言葉が指し示している中身は比較的明確です。それは、チェック機能や権力抑制が十分に働かない、動員型・統制型の組織が、特定の思想や政策内容とは切り離されたまま、全国規模で社会に張り巡らされていく可能性への懸念です。

民主主義は、多様な意見が公に競合し、制度の中で妥協と修正を重ねていく仕組みです。異論が排除され、忠誠心のみが重視される構造は、どのような理念を掲げていようとも、民主主義を形骸化させる危険性を孕みます。

必要なのは政党の「近代化」と自己改革です

こうした事態を回避するために必要なのは、感情的な排斥ではなく、政党自身による組織改革です。
具体的には、次のような方向性が考えられます。
・党員や支持者が実質的に参加できる透明な意思決定過程
・統治能力を前提とした人材育成と責任の所在の明確化
・内部批判や異論を制度的に保障する仕組み
これらを備えた近代政党への転換なしに、新興勢力への警戒だけを強めても、問題の根本的な解決にはなりません。

おわりに——警告を未来への材料にするために

渡瀬裕哉氏の問題提起は、特定政党への攻撃や予言というより、日本の政治全体に向けられた構造的警告として読むことができます。
それは、日本の民主主義が今後も持続可能であるために、何を改めるべきかを静かに問いかけています。
警告は、感情的に消費されれば分断を深めるだけですが、冷静に受け止められれば改革の材料になります。
特定の勢力を恐れることよりも、私たち自身が、どのような政党政治を許容し、どのような統治のあり方を望むのかを問い直すことの方が重要です。

私自身、これまでの執筆を通じて、問題が極端な言葉や対立構図で語られるときほど、その背後にある制度や構造が見えなくなっていく危うさを感じてきました。
本稿もまた、誰かを断罪するためではなく、日本の民主主義を空洞化させないために、今どこに注意を払うべきなのかを考える材料として書いたものです。
本稿が、賛否を超えて日本の政党政治のあり方を考えるための一助となれば幸いです。

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