※2026年衆議院解散総選挙では、選挙戦序盤から、主要メディア各社がほぼ同じトーンで「与党優勢」「単独過半数も」と報じる情勢記事が相次いでいる。
選挙が近づくと、必ずといっていいほど「○○党優勢」「与党過半数も」「政権交代は困難か」といった情勢報道があふれる。これ自体は、民主主義社会において自然な光景だ。
メディアが取材網や調査をもとに現状を伝えようとすること自体を、頭ごなしに否定する必要はない。
しかし同時に、私たちはこうした報道を全面的に信じ切る必要もない。
メディアは万能でも中立神話でもない
日本の主要メディアは、同じような調査手法、同じような分析フレームを共有している。その結果、見出しや論調が横並びになることは珍しくない。そこに、意図的な陰謀や露骨な世論操作が常に存在すると考えるのは、行き過ぎだろう。
一方で、報道が有権者心理に与える影響――「もう決まった感」「投票しても意味がないのでは」という空気――が、選挙結果に影響しうることも、過去の選挙が示してきた事実である。特に小選挙区制では、ほんの数%の差が議席を大きく左右する。
実例もある。1998年(平成10年)7月の参議院選挙では、橋本龍太郎政権下の自民党について、選挙戦の途中まで「自民党は堅調」「与党は大きく崩れない」といった見通しが相次いで報じられていた。
しかし結果は、自民党の歴史的な大敗だった。この選挙結果を受け、橋本首相は責任を取り退陣している。
だからこそ、有権者側には受け取り方の知恵が求められる。
情勢は参考情報、投票は自分の判断
大切なのは、
・メディアを全否定しない
・しかし、全面的にも信じない
・情勢報道と投票行動を切り離す
という距離感だ。
情勢報道は、あくまで「途中経過」や「参考情報」にすぎない。それを見て一喜一憂するのではなく、
・自分はどの政策を支持するのか どの候補が比較的ましだと思えるのか
を基準に、静かに判断することが重要だ。
ここで言う「よりましな選択」は、決して消極的な姿勢ではない。
完璧な政党や候補が存在しない以上、現実の政治においては「最悪を避ける」「比較衡量する」という判断こそが、成熟した民主主義の態度である。
投票に行くこと自体が、意思表示である
情勢報道を理由に投票を控えることは、結果的に他人に判断を委ねることになる。
逆に言えば、
・期待通りの結果にならなくても
・気に入らない選択肢しかなくても
投票所に足を運び、一票を投じること自体が、「私はこの国の意思決定に参加した」という明確なメッセージになる。
そして、その姿勢は決して一人で完結するものではない。
家族や友人、仲間に「とにかく投票には行こう」と声をかけること。
その積み重ねが、短期的な勝敗を超えて、日本の民主主義の土台を支える。
結論として
ここまで見てきたように、情勢報道そのものが悪なのではない。
しかし、それが有権者の判断や行動に与える影響を過小評価したまま受け取ることは、極めて危うい。
1998年の参院選が示したのは、「途中経過としての情勢」と「最終結果」は簡単に乖離しうる、という当たり前だが忘れられがちな事実だ。
にもかかわらず、私たちはしばしば「今回は違う」「今回はもう決まっている」という空気に流されてしまう。
だからこそ、有権者一人ひとりが次の三点を意識しておく意味は大きい。
①情勢報道は予測であって、結果ではない
②投票率の変化そのものが、選挙結果を左右する
③自分が棄権すれば、その分だけ他人の判断が相対的に重くなる
メディアにも、政権にも、SNSにも、過度に依存しない。しかし、無関心にもならない。
情勢は冷静に眺めつつ、投票は自分の判断で行う。
この立ち位置こそが、最も操作されにくく、最も健全な有権者の姿だと思う。
そして最終的に言えることは、ただ一つ。
とにかく投票に行こう!
それが、一人一人の有権者にとっても、日本という国にとっても、今なお最も重要な行為なのだから。
