政治的中立を掲げる日本のマスコミは、どこへ向かうのか

はじめに

私は、今回報じられた、選挙期間中における与党政治家の政治資金をめぐる疑惑報道をきっかけとして、日本のマスコミの立ち位置について、あらためて考えさせられました。
個々の報道内容が事実に基づいているかどうか、フェイクニュースかどうか、という点だけで問題を整理するのは不十分だと感じています。
より本質的な問題は、「どのような姿勢・基準で報道を行っているのか」、そして「その姿勢が視聴者・読者に対して誠実に示されているのか」という点にあります。

本稿では、特定の政治家や政党の是非を論じることを目的とするのではなく、日本のマスコミが掲げる「政治的中立・公平」という理念と、実際の報道との間に生じているズレについて、私なりの問題意識を整理したいと思います。

「ギリギリ合法、しかし倫理的には際どい」報道が常態化していないか

近年の政治報道を見ていると、「事実関係としては成り立っている」「法的には問題があると断定できない」というラインを保ちながらも、選挙や世論形成に影響を与えかねないタイミングや表現で報じられるケースが見受けられます。
こうした報道は、違法性を断定しているわけではなく、形式的には報道倫理の枠内に収まっていると評価される場合もあるでしょう。
しかし、投票日が近づく中で「疑惑」という言葉が強調され、十分な検証や反論の時間が確保されないまま情報が提示されると、その影響はどうしても一方向に偏りやすくなります。
ここで問題にしたいのは、特定の政治的立場を断罪することではありません。
こうした報道手法が例外的なものではなく、一定のパターンとして繰り返されているように見える点について、社会としてどのように受け止めるべきか、という問いです。

「中立」を掲げながら、結果として生じる非対称性

日本のマスコミの多くは、「政治的中立」「公平な報道」を自らの原則として掲げています。
しかし現実の報道を長期的に眺めると、疑惑の扱い方、見出しの強さ、報道量、タイミングなどにおいて、一定の方向性が感じられることも否定できません。
とりわけ、左派的とされる立場に有利な情報は手厚く、右派的とされる立場に不利な情報は強調されやすい、という印象を持つ視聴者・読者が少なからず存在しているのは事実でしょう。
これは個々の記事の問題というより、報道全体を通じて生じる「非対称性」の問題です。
仮にマスコミが真に政治的中立を標榜するのであれば、与党・野党、左派・右派を問わず、同じ基準、同じ厳しさ、同じ慎重さで扱われていなければなりません。
その点において、日本のマスコミは視聴者から十分な信頼を得られているとは言い難い状況にあるように思います。

米国メディアとの対比から見える選択肢

参考になるのは、米国の主要メディアの姿勢です。
米国では、各メディアが保守寄り、リベラル寄りといった政治的スタンスを持っていることが、暗黙の前提、あるいは公然の事実として共有されています。
そのため、読者や視聴者は「どの立場からの報道か」を理解した上で情報に接することができ、自ら距離を取りながら内容を判断する余地があります。報道に価値判断が含まれていても、その前提が可視化されている分、受け手側の認知的負担はむしろ軽減されている面があります。

一方、日本のマスコミは「政治的中立」を強く標榜する傾向があります。
その姿勢自体は尊重されるべきですが、現実には価値判断を伴う報道が行われている以上、そのギャップが不信感を生む一因になっているように思われます。

日本のマスコミが選ぶべき二つの道

私は、日本のマスコミは、もはや次のどちらかを選択すべき段階に来ていると考えています。
一つは、米国型のモデルに近づき、社としての政治的立場や価値観をある程度明示した上で、その立場に基づく報道や論評を行う道です。その場合、少なくとも「中立」を装う必要はなくなり、読者との関係はより正直なものになります。
もう一つは、「政治的中立・公平」を掲げ続けるのであれば、その言葉にふさわしい報道倫理を徹底的に厳守する道です。とりわけ選挙期間中においては、タイミング、表現、見出しの付け方において、通常以上の自制と慎重さが求められるはずです。

両者の中間、すなわち「中立を名乗りつつ、結果的に特定の方向に作用する報道」を続けることが、最も問題の多い選択だと私は考えています。

「政治的中立」を掲げながら、結果として特定の方向に作用する報道が続くのであれば、それは中立の名を借りた影響力行使と受け取られても仕方がありません。
中立を貫く覚悟がないのであれば、立場を明示した方が、むしろ誠実ではないでしょうか。

想定される反論とQ&A(補足版)

Q1.疑惑がある以上、選挙直前であっても報道するのは当然ではないですか。
A1.その通りであり、報道そのものを否定する意図はありません。本稿で問題にしているのは、「報道するか否か」ではなく、「どの程度の慎重さとバランスをもって伝えられているか」です。とりわけ選挙期間中は、有権者の判断に与える影響が大きくなるため、通常以上に表現やタイミングへの配慮が求められます。

Q2.それはメディアに過度な萎縮を求める議論ではありませんか。
A2.萎縮を求めているのではなく、自覚を求めています。報道の自由は民主主義の基盤ですが、その自由が大きな影響力を伴う以上、倫理的な責任と切り離すことはできません。自制は自由を弱めるものではなく、むしろ信頼を支える条件です。

Q3.右派・左派という見方自体がレッテル貼りではありませんか。
A3.単純化には注意が必要である点は同意します。ただし、多くの視聴者・読者がそうした印象を抱いている現実がある以上、その認識がどこから生まれているのかを検証すること自体は、健全な議論だと考えます。

Q4.不利になるのは結局、権力を持つ側なのだから問題ないのではありませんか。
A4.権力監視は報道の重要な役割です。しかしそれは、手続き的な公平さを犠牲にしてよいことを意味しません。権力を持つ側であっても、同じ基準と慎重さで扱われることが、報道への信頼を維持する前提になります。

Q5.結局これは、特定の政治家や政党を守りたいだけの議論ではありませんか。
A5.本稿の関心は、個別の政治家や政党の擁護ではありません。関心があるのは、疑惑報道の積み重ねが、選挙という制度そのものへの信頼を損なっていないか、という点です。誰が当事者であっても、同じ問題は提起されるべきだと考えています。

おわりに

マスコミは民主主義にとって不可欠な存在です。
しかし、その影響力が大きいからこそ、自らの立ち位置に対して誠実である必要があります。
今回の一連の報道をきっかけに、日本のマスコミが自らのあり方を問い直すことを期待したいと思います。
同時に、私たち有権者一人ひとりの姿勢も問われています。報道をそのまま受け取るのではなく、事実と評価を区別し、印象操作に対する耐性を高めること、すなわちメディア・リテラシーを磨くことが、民主主義を支える重要な要素ではないでしょうか。
マスコミと有権者の双方が成熟していくことこそが、健全な言論空間を育てる近道だと考えます。

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