実業家の 堀江貴文 氏が、AI時代やYouTube時代を背景に寿司職人の長年修行を批判し、さらに職人を属性で貶める発言を行ったことが波紋を呼んでいます。
私はまず前提を明確にしたいと思います。
一人前の職人の寿司を好むか、ロボットや機械が作る寿司で満足するかは、完全に個人の自由です。
効率を選ぶ自由も、伝統を選ぶ自由も、どちらも尊重されるべきです。
しかし今回問題なのは「効率化の主張」そのものではありません。
問題は、それを人格攻撃へとすり替えた点にあります。
本稿では、冷静に、しかし必要なところでは厳しく、四つの論点から整理します。
効率論を人格攻撃にすり替えました
技術の民主化は確かに進んでいます。
・YouTubeで調理技術を学べる
・AIで理論や工程を効率化できる
・機械化で均質な商品を提供できる
これは生産性の議論です。
ここまでは十分に議論可能です。
しかし、
長年修行する人間は能力が低いからだ
という論理に飛躍した瞬間、それは効率論ではなく人格攻撃になります。
「修行は非効率だ」という主張と
「修行する人間は劣っている」という断定は、全く別物です。
議論であるならば、前者にとどまるべきです。
後者は単なる侮辱です。
高度技能の取得過程を矮小化しました
寿司職人の修行が長いのは、「能力が低いから」ではありません。
高度技能の取得には時間がかかるからです。
暗黙知という概念があります。
・魚のわずかな匂いの変化
・シャリの湿度と握り圧
・客の食べる速度に合わせた提供間隔
・その日の気温による微調整
これらはレシピ動画では完全に再現できません。
世界的評価を受けた
すきやばし次郎 の仕事が、動画視聴だけで完全再現可能だと言い切れるでしょうか。
もし「長期訓練=愚か」なら、
・医師の臨床研修
・研究者の博士課程
・航空機パイロットの訓練
・伝統工芸の徒弟制度
もすべて否定されます。
長期修練は能力の低さの証明ではありません。
高度技能への投資です。
それを「バカの仕事」と切り捨てるのは、社会に蓄積されてきた技能そのものを軽視する態度と言わざるを得ません。
自己責任論との矛盾です
堀江氏はこれまで「好きな道を選べ」「挑戦しろ」「自己責任だ」と語ってきました。
であるならば、寿司職人の道を選ぶ人もまた、主体的選択者のはずです。
それを
家が貧乏だから行く
容姿や知性に劣る者の道だ
と断じるのは、明確に自己責任論と矛盾しています。
自由を説く思想が、
他者の選択を嘲笑する瞬間、
それは自由主義ではなく選別思想になります。
職業差別に該当しうる発言です
特定の職業に就く人を、
・容姿
・知性
・家庭環境
で決めつけることは、職業差別に該当しうる発言です。
どんな思想的立場であれ、
職業を属性で序列化する社会は健全ではありません。
社会は、
・効率型のビジネス
・伝統技能
・大量生産
・一点物の芸
が共存することで厚みを持ちます。
市場がそれを証明しています。
高級寿司店も存在し続け、
回転寿司も支持され、
機械化も進んでいる。
共存しているのです。
にもかかわらず、一方を「低スペック人材の逃げ道」と断じるのは、市場の現実を無視した独善的評価です。
結論:自由社会の原則に立ち返るべきです
AI時代に効率化を主張することは自由です。
しかし他人の職業を属性で貶めることは自由ではありません。
寿司を選ぶ自由があるように、
寿司職人になる自由もあります。
効率を選ぶ自由があるように、
修行を選ぶ自由もあります。
成熟社会とは、
「自分が選ばない道」を嘲笑しない社会です。
効率論は議論として成立します。
人格攻撃は議論ではありません。
今回の堀江貴文 氏の発言は、
技術論として語れば建設的だったはずのテーマを、
不要な侮辱によって自ら劣化させてしまいました。
AI時代に本当に問われるのは、
技術の速さではなく、
言葉の品位と知性ではないでしょうか。
