日本は移民国家? これさえ押さえれば完璧 その7「移民化する外国人がいる以上、最大の争点は、移民の増加状況に対応できるだけの社会統合政策の実施体制の確保の有無!」

オール・オア・ナッシング的な捉え方は無意味

日本が米国型の移民受け入れは今後とも行わないでいるとしても、中長期在留外国人のうちの移民予備軍的存在の者の中から永住許可と帰化の許可の制度によって移民(いわば “新しい国民”)となる者が出現し続ける以上、日本の移民の人口は、今後とも漸増傾向を続けるでしょう。

2013年1月19日付け投稿記事『日本は移民国家? これさえ押さえれば完璧 その5「今現在の日本にとっての移民の社会統合政策の必要性とは?」』の冒頭で述べましたように、日本が仮に、今後もうこれ以上積極的には外国人の受け入れをしないように方針変更をする場合であっても、既に受け入れてしまっている移民や、中長期在留外国人のうちの移民予備軍的存在の者に対する社会統合政策(ないし共生政策)が必要です。

ですから、日本の今後の移民の受け入れをめぐって、オール・オア・ナッシング的な捉え方は無意味なのです。

温故知新:日本の定住インドシナ難民の受け入れを振り返って

(ア)昭和50年4月末の旧南ベトナム政権崩壊以降、ボート・ピープル(注1)の流出が激化し、翌月には我が国へも初めてボート・ピープルが到着しました。ボート・ピープルの到着は、昭和50年には9隻126人、51年には………、54年から57年の4年間は毎年1,000人台を記録しました。
(イ)我が国では、ボート・ピープルに対し、当初一時的な滞在のみを認めることとしていましたが、インドシナ難民の流出が続き、東南アジア諸国に一時滞在する難民の数が増大するにつれて、我が国においてもこれら難民の定住受け入れを求める意見も強くなっていきました。このような内外の要請に応えるため、政府は昭和53年4月28日の閣議了解により、ベトナム難民の定住を認める方針を決定しました。定住許可の条件は、当初設定されていた定住枠の撤廃、ラオス難民、カンボジア難民への対象の拡大など順次緩和され、更に、昭和55年6月17日付け閣議了解により、「合法出国計画(ODP)」(注2)の手続や、アジア諸国のキャンプに滞在する難民についても、家族再会を目的とする定住受入れを認めることとなりました。
(ウ)昭和54年に39万人とピークを迎えたインドシナ難民の流出は、合法出国計画の実施により以降減少を続けましたが、昭和62年に再び増加に転じ、平成元年には約8万人に上りました。この再度の増加の原因は、主として貧困による生活苦から逃れ、より豊かな生活を求める出稼ぎ目的のボート・ピープルの流出と認められたことから、この問題に対処するため、1989年6月に開催されたインドシナ難民国際会議において「包括的行動計画(CPA)」が採択されました。同計画の採択後、インドシナ難民の流出は激減し、平成7年以降、ボート・ピープルの我が国への上陸は発生していません。

(注1)ボート・ピープル
ベトナムから漁船などの小型船に乗って脱出したベトナム難民のことで、小型船で直接周辺諸国にたどり着いたり、南シナ海を漂流中に航行中のタンカーや貨物船に救助されて寄港地の港に上陸しました。
(注2)合法出国計画(ODP・Orderly Departure Program)
南シナ海を漂流中のボート・ピープルについて、悪天候による遭難または海賊に襲撃を受けるなど、人道上看過できない状況が発生しました。事態改善のため、1979年5月30日、UNHCR(国連難民高等弁務官)はベトナム政府と覚書(合法出国計画に関する覚書)を取り交わし、ベトナム国内に滞在する者で、海外にいる家族との再会等を目的とする場合は、本計画に基づき同国からの合法的出国が認められることとなりました。

以上は外務省ホームページからの抜粋です。

さて、このインドシナ難民の定住受け入れについて、NHKのホームページの中にある『NHKアーカイブス 証言』の中に、当時ベトナム難民対策担当の内閣審議官であった黒木忠正氏へのインタビューがあって、そのチャプター4から、私なりに抜粋・要約して紹介したいことがあります。

黒木氏の証言によれば、日本への定住受け入れを認めた難民に対してまず「定住促進センター」に入所させて日本語教育並びに日常生活に必要なことを教育する。その教育期間が長いに越したことはないけれども、一人に一年かけて教育しようとすると、同センターが一度に受け入れることができる人数が限られてしまう。それで、“回転” をよくして同センターで教育を受けさせる延べ人数を増やすため、とにかくカタコトでもいいから日本語が分かるようになればということで、3か月ぐらいで “卒業” させて社会に送り出すことにしたそうです。

この証言だけからでも伺い知ることができますが、日本が先進国の一員として国際社会において応分の負担をするために決定したインドシナ難民の定住受け入れは、当時の日本にとって前例のない大事業であったことに加え、当時の日本社会の移民の受け入れに対する意識も大きく影響して、結果として社会統合政策がタイムリーかつ十分に実施できなかったのです。

以上、私がこのブログの読者に再確認的にお伝えしておきたいことは、
①日本がインドシナ難民の定住受け入れを認めた総人数は、昭和53年から受け入れが終了した平成17年末まで計約1万1千人台であるところ、この数字は、米国の82万人超、オーストラリアとカナダの13万数千人台、フランスの9万数千人台と比べれば少ないけれども、日本もれっきとしたインドシナ難民の定住受け入れ国だということ。②定住受け入れつまり移民として受け入れる以上は、人数の多寡にかかわらず受け入れる人数に対応した社会統合政策の実施体制が肝心だということ
です。

日本が移民を受け入れることに強く反対する人たちは、治安の悪化その他をデメリットとして強調していますが………

欧米先進国の先例では、移民受け入れがその後社会問題化したケースとは、
人手不足対策として(稼ぎ終えれば帰国するという想定で)出稼ぎ外国人労働者として入国・在留を認めたにもかかわらず、在留が長期化して定着・定住化する者が想定外の多さで出現したため、社会統合政策が後手後手に回ったケース
出入国管理の手続き上は不法入国者として、陸続きの国境を超えて流入したり船舶で到着したものであるけれども、人数の余りの多さや人道的配慮の必要性の観点から非常時対応としてやむを得ず入国・在留を認めざるを得なかったところ、その後相当人数が定着・定住化して、社会統合政策が後手後手になっているケース
です。

前述の日本のインドシナ難民の定住受け入れのケースは、この①・②のいずれのケースにもピッタリ当てはまりはしませんが、社会統合政策が十分でなかった点では共通しています。

よって、諸外国のこれらの先例と、もしも日本が今後、米国方式で外国人を初めから移民(つまり “新たな国民”)として、社会統合政策の実施体制を十分整えて、年間当たりの受け入れ人数その他を計画的に受け入れることとする場合とを、全く同列に論ずるのは、筋違いと言わざるを得ません。

日本語をはじめとして日本の文化その他の十分な教育を受け、日本社会に適応し安定した仕事がある移民については、一般的な日本国民と比較して、犯罪や社会的摩擦の発生率が高いということは到底考えられません(もしも、そんなデータが存在しているのであれば、移民反対論者が鬼の首を取ったように情報発信しているはずでしょう。)。

仮に将来、日本が米国型の移民受け入れを実施する場合であっても、不法移民の取締りは当然であって、不法移民による治安の悪化等を理由に挙げて国策としての移民の受け入れの是非を論ずるのは、あいにく的外れです。

タイトルとURLをコピーしました