はじめに――いま日本で起きていること
近年、日本政府と各自治体が推進する「多文化共生」政策に対し、
ネット空間を中心に “異文化強要ではないか!” という批判が日に日に強まっています。
この反応を、単なる排外主義や偏見として片づけることはできません。
むしろ多くの国民が直感しているのは、
「移民の受け入れを否定していると政府が言いながら、実際には外国人が定住化・移民化できる制度にしている矛盾」
「文化的に距離の大きい集団まで含め、政策目標として混住させること自体が不自然だ」
「しかも選挙でも国民投票でもなく、上からの押し付けで進められている」
という、民主主義の根幹に関わる不信です。
本稿では、
「多文化共生は絶対善である」という前提そのものが誤りであること、
そして、その誤りを正さない行政官僚の “無誤謬性の神話” が、国民不信を深めている構造について論じます。
「多文化共生」は絶対善ではない――棲み分けこそ歴史的にも国際的にも安定の基本原則
世の中の多文化は、一律に「受け入れるべき文化」ではありません。
文化的距離(価値観・宗教・家族観・治安観・共同体規範など)が大きく異なる場合、
・お互いの価値観は容易に調和しない
・一つの生活圏で共通ルールを共有することが難しい
・小さな摩擦が深刻な対立にエスカレートしやすい
という現実があります。
したがって、本来の原則は次の通りです。
「お互いに認め合い、無理に混住させず、棲み分けて争いを避ける」
これこそが社会安定の大原則です。
この原則を無視し、文化的距離の大きい集団を政策目的として混在させれば、
・社会の分断
・治安悪化
・自治体負担の増大
を招きます。
欧州各国が移民政策を大幅に見直している背景にも、この「混住の危険性」があります。
日本の多文化共生政策の最大の誤り――民主主義手続きを経ず、“エリート支配的” に押し付けられている
日本の多文化共生政策には根本的欠陥があります。
①国政選挙の主要な争点として扱われない
国民的議論を避けたまま政策が進む構造は民主主義の軽視です。
②行政エリートが「理念」を優先
実態データや国民の声よりも、「多様性」「国際的協調」「人権の尊重」など抽象的理念が優先される。
③反論や懸念にレッテルを貼って封じる
議論を求めるだけで「差別」「排外的」とされ、冷静な議論が成立しない。
こうした「議論拒否型」の政策推進は国民の不信を深めています。
背景にある “官僚の無誤謬性の神話”――誤りを認めない官僚文化が政策の歪みを固定化
日本の多文化共生政策の背後には、官僚社会(公務員社会)に深く根付く文化があります。
①「自分たちは間違わない/間違いを認めない」
・制度不備や住民の摩擦増加があっても「政策の正しさ」を崩さない。
②失敗を認めると組織が責任を問われる構造
そのため
・公式には誤りを認めない
・こっそり基準を変更する
といった措置が繰り返される。
③国民との情報共有を避ける
負のデータは公表せず、広報用スローガンだけを強調する。
こうした官僚文化(公務員文化)が、
・現場の現実を無視
・誤った政策を修正せず理念を押し付ける行政
・国民不信の爆発
へとつながっています。
国民が感じる本当の危機感――問題は「文化摩擦」それ以上に「民主主義の軽視」
国民が一番怒っているのは、
・文化の違いそのもの
以上に、
・行政が国民の同意なしに社会構造を変えようとしていること
・議論すると “差別” と決めつけられ、言論空間が閉ざされること
・政策の失敗が認められず改善されないこと
つまり、これは移民政策の是非以前の問題であり、
民主主義の軽視こそが、本当の危機感なのです。
では日本はどうすべきか?
答えは明確です。
①重大政策は選挙で大きく争点化する
正式な民主主義手続きを経ずに済ませてはならない。
②政策の誤りを認め、実態データに基づき見直す
官僚の “無誤謬性神話” を捨て、透明性を確保する。
③懸念や批判を “差別” で封じず、健全な議論空間を確保
改善に向けて国民と真正面から向き合う。
本当の「外国人との共生」とは?
(1)受け入れ規模と速度を適正化した制度運用
ア 文化的距離が大きい集団については、日本での混住を政策目標にせず、長期滞在・定住化・移民化を認めない。
無理な混住を避け、棲み分けの原則を尊重する。
イ 日本文化を受け入れ、日本社会に溶け込む意思と資質が認められる外国人には、必要な社会統合政策(日本語・文化・生活習慣・法制度等の教育)を適切に提供する。
(2)地域社会との摩擦を未然に防ぐ制度づくり
・受け入れ総量・受け入れペースの管理
・地域の負担能力を踏まえた配置
・自治体との協調による受け入れ調整
など、持続可能な共生のための制度運用が不可欠である。
結論
現在の日本が推進する「多文化共生政策」は絶対善ではなく、
時に社会の安定を損なう危険な政策となりえます。
価値観が大きく異なる文化圏同士が無理に混住すれば、摩擦と負担は避けられません。
さらに、
・民主主義手続きを踏まず
・官僚の無誤謬性神話に支えられ
・誤りを認めず理念だけを押し付ける
という構造は、国民の不信を加速度的に高めます。
必要なのは、
民意を正しく反映し、国民が納得できる「外国人との共生」であり、
上からの押し付けによる “混住の強要” ではありません。
この原則を取り戻すことこそ、
今の日本社会にとって急務ではないでしょうか。
