「白旗を掲げれば平和は来るのか?――“自衛戦争も絶対悪”という思想が見落としている国際法と現実」

「戦争は自衛のためであっても絶対にしてはならない。白旗を掲げて降伏し、話し合って和解すればよい」
近年、日本の言論空間では、このような主張を真剣な倫理的信念として語る人たちを見かけることが増えました。SNSや大学の講義、平和集会などで耳にしたことがある人も多いでしょう。

本記事の目的は、こうした主張をする人々を個人攻撃することではありません。
むしろ、なぜそのような考え方が生まれるのか、その背景を冷静に分析し、どこに問題点があり、どうすればより現実に即した「平和」を考えられるのかを、多くの一般読者、特に大学生にもわかる形で提示することにあります。

結論を先に言えば、問題は「平和を願う気持ち」そのものではありません。
問題は、戦争・自衛・国際法をすべて一色に塗りつぶす思考の単純化にあります。

戦争はすべて同じ「絶対悪」なのか?

まず、多くの人が無意識のうちに陥っている思考の癖があります。それは、
「戦争=すべて同一の絶対悪」
という捉え方です。
この立場では、
・侵略戦争
・自衛戦争
・集団的自衛
・国際法に基づく武力行使
といった区別がなされません。
これらはすべて「戦争」という一語に押し込められ、「人命を奪う行為なのだから、どんな理由でも悪だ」という結論に直結します。

しかし、現実の国際社会では、
「誰が・どのような根拠で・何を目的に武力を使うのか」
によって、法的評価も倫理的評価も大きく異なります。
たとえば、国連憲章は、侵略戦争を明確に禁止する一方で、自衛権の行使は明文で認めています。これは「戦争を肯定している」のではなく、無抵抗が必ずしも人命を守らないという現実を前提に作られた国際ルールです。
この区別を考えないまま、
「人を殺す=常に悪 → だから武力は一切放棄すべき」
という短絡に陥ると、現実世界の複雑さを説明できなくなります。

「話し合えば必ず分かり合える」という楽観主義の落とし穴

次に考えるべきは、「降伏すれば話し合いで解決できる」という発想です。これは一見、人道的で理想的に聞こえます。
しかし、ここには重大な非現実性があります。

まず理解すべき基本があります。
・降伏後の交渉は、対等な話し合いではありません。
・国際法は、力関係を無視して自動的に守られるものではありません。
・占領下では、人権・言論の自由・司法の独立は容易に失われます。

それにもかかわらず、「相手も人間なのだから、話せば分かり合えるはずだ」という発想が繰り返されます。これは倫理的態度というより、現実の権力構造から目を背ける心理的投影に近いものです。

歴史を見れば、無抵抗・無防備であったからこそ、より苛烈な支配や弾圧を受けた事例は枚挙にいとまがありません。白旗は人道的扱いを保証する魔法の布ではないのです。

日本の戦争教育は「事実の選択」によって偏ってきた

このような思考が日本で特に広まりやすい背景には、日本の学校教育における戦争・平和教育のあり方が深く関係しています。
戦後の日本の平和教育は長年、
・空襲の惨状
・原爆被害
・学童疎開
・市民の犠牲
といった「被害の記憶」に強く焦点を当ててきました。
これらを学ぶこと自体は、言うまでもなく重要です。実際、それによって多くの日本人が「戦争の悲惨さ」を肌感覚で理解するようになりました。

しかし問題は、それ以外の視点がほとんど教えられてこなかったことにあります。
たとえば、日本の中学・高校の教科書や授業では、次のような問いに正面から向き合う機会は極めて限られています。
・なぜ他国は「自衛戦争」を選択せざるを得なかったのか
・占領下の社会では、法や人権はどのように変質するのか
・戦時国際法は、どのような悲劇の反省から生まれたのか
・武力を完全に放棄した国家は、国際社会でどのように扱われてきたのか

その結果、戦争を
「加害か被害か」「善か悪か」だけで捉える単純な道徳物語として理解してしまう傾向が生まれました。
これは、生徒個人の問題ではありません。
カリキュラム設計そのものが、考えるための材料を十分に与えていないのです。

戦時国際法を教えない教育が生む「非現実的平和主義」

「戦時国際法を教えないことの影響は大きいのか?」
この問いに対しては、明確に「極めて大きい」と言う必要があります。

多くの日本人は、
・国連憲章に自衛権が明記されていること
・戦時国際法が存在する理由
・国際法が“理想”ではなく “現実の暴力を抑制するための仕組み”
であること
を、学校教育の中で体系的に学んでいません。

そのため、
「国際法があるのだから守られるはずだ」
「無抵抗でいれば人道的に扱われるはずだ」
という、現実の国際政治とは乖離した理解が広がりやすくなります。

しかし、戦時国際法とは本来、
・戦争をなくすための理想論ではなく
・戦争が起きてしまった場合に
・無制限な殺戮と破壊を抑え込むための最低限の歯止め
として作られたものです。

この前提を知らないまま「平和」を語ると、
平和主義はいつの間にか、現実を直視しないための精神的避難所になってしまいます。
これは教育の失敗であって、学ぶ側の責任ではありません。

教育改革提言――「平和」を守るためのカリキュラム再設計

ここまでの議論を踏まえると、日本の学校教育における最大の課題は、
「平和」を価値として教える一方で、その前提条件を考えさせていない点にあります。

必要なのは、精神論の強化ではありません。
教育内容の構造的な見直しです。

①「戦争の悲惨さ」と「安全保障の現実」を同じ土俵で扱う
現在の平和教育では、
・戦争=悲惨
・平和=善
という価値判断が、ほぼ結論として先に与えられています。
しかし、教育の役割は「正解を教える」ことではなく、
判断に必要な材料を十分に与えることです。
具体的には、
・侵略戦争と自衛戦争の違い
・抑止が働いた事例/働かなかった事例
・武力行使が被害を拡大したケース/結果的に被害を抑えたケース
を、感情論ではなく事例研究として並列的に扱う必要があります。
善悪を教える前に、「なぜ人類は簡単に戦争をなくせないのか」を理解させる。
それがなければ、平和は願望で終わります。

②戦時国際法・国連憲章を「暗記」ではなく「思考の道具」にする
国連憲章や戦時国際法は、現在も教科書に登場します。
しかし多くの場合、
・条文名
・年号
・用語説明
で終わっており、「なぜ存在するのか」「なければ何が起きるのか」がほとんど扱われません。
ここを次のように転換すべきです。
・戦時国際法がなかった時代の戦争の実態
・ルールが破られた場合に何が起きたか
・国際法があっても完全には守られない理由
を扱い、
「理想と現実のギャップ」を自分で考えさせる教材にする。
そうすることで初めて、生徒は
「無抵抗=安全ではない」
「法は力関係と切り離せない」
という現実を、納得をもって理解できます。

③「答えのない問い」を避けない授業設計へ
教育現場ではしばしば、
「政治的に中立でなければならない」
という理由から、難しい問いを避ける傾向があります。
しかし、
・降伏は常に命を守るのか
・武力抑止は悪なのか
・国家はどこまで国民を守る義務を負うのか
といった問いこそ、民主主義社会で生きる市民が避けて通れない問題です。
価値観を押し付けないことと、問題から目を背けることは、
同じではありません。
教育とは、
「考えさせる責任」から逃げない営みであるはずです。

補論――大学生・教育関係者に向けて:なぜ「平和教育」は観念化しやすいのか

ここからは、やや理論的な補論として、大学生や教員を主な読者として話を進めます。
日本の平和教育が観念化しやすい理由は、
単なる教材の偏りではなく、教育思想の構造にあります。

①「規範教育」と「分析教育」の混同
日本の戦争・平和教育は、しばしば
・何が正しいか
・どうあるべきか
を教える規範教育として設計されてきました。
しかし、安全保障や国際政治は、本来、
・利害
・権力
・不確実性
を前提とした分析対象です。
規範だけを先行させると、
・現実を説明できない
・反例が出た瞬間に思考が停止する
・異論を「道徳的に間違っている」と処理してしまう
という問題が生じます。
これは教育の成果ではなく、思考停止の訓練になってしまう危険性があります。

②被害者意識の固定化と主体性の喪失
日本の平和教育は、「被害」を強調するあまり、
学習者を常に受動的な存在として位置づけがちです。
しかし、現代の民主国家の市民は、
・選挙で安全保障政策を選び
・税金で防衛を支え
・国際社会の一員として責任を負う
主体でもあります。
主体である以上、
「何もしない」という選択の結果にも責任が伴います。
この視点が欠けると、
無抵抗=道徳的に正しい
という単純化
が起きやすくなります。

③「平和」を絶対化したときに起きる逆説
皮肉なことに、
平和を絶対視すればするほど、思考は硬直します。
・平和に反する議論はタブー
・現実論は冷酷
・安全保障の話は危険
という空気が強まると、
結果として、社会は最悪の事態に対する想像力を失う
これは、平和を守るどころか、
危機への耐性を下げることにつながります。

結び――平和を願うからこそ、現実を教える

「戦争をしない社会」を目指すことと、
「戦争を考えない社会」を作ることは、
まったく別です。
前者は成熟した民主社会の目標ですが、
後者は、危機に脆弱な社会を生みます。

必要なのは、
理想を持ちながら、現実を直視できる市民を育てる教育です。
それは決して、軍事賛美でも、戦争肯定でもありません。
むしろ、最悪を想定することで最悪を避けるための知性です。

白旗を掲げる前に、
考える力を育てること。
それこそが、日本の平和教育に今、最も求められている改革なのではないでしょうか。

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